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2007年5月

鷺坂と胸突坂


文京区の鳩山会館の近くに鷺坂(さぎざか)という坂がありました。





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このあたりは、坂の上に徳川幕府の老中職をつとめた 旧関宿藩主
久世大和守 の下屋敷のあったので「久世山」と呼ばれているそうです。

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明治以降はこのあたりは多くの文学者が住むようになり、鷺坂の名は
久世山に住んでいた堀口大学や、付近に住んでいた佐藤春夫、三好達治ら
が、万葉集の「山城の久世の鷺坂神代より春は張りつつ秋は散りけり」と
結び付け名づけたそうです。(文京区小日向2丁目)

関口芭蕉庵の脇にある坂は胸突坂(むなつきざか)です。

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坂をはさんで水神社があります。坂の勾配が急なため、自分の胸を突く
ようにしなければ上がれないことから、「胸突坂」と名づけられたそうです。

神田上水は井の頭池を水源とした徳川家康の命により開かれ江戸の人々
の生活を支えてきましたが、その神田上水の安泰を祈り水神を祀ったのが
水神社です。
そういえば、以前井の頭公園で「神田川の源流」の看板を見たことを思い
出しました。

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胸突坂の途中には、熊本藩主細川家に伝来する歴史資料や美術品を
公開している「永青文庫」があります。

foot今日も坂めぐり>>

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東京ミッドタウンのガーデン散歩

六本木の東京ミッドタウンには様々なお店があるので楽しめますが、街の約40%を占める広大な緑地のミッドタウンガーデンも魅力的です。

ひときわ目を引くフロリアン・クラールのマカロニのようなアートを始め、様々なアートが点在しています。

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ガーデンには1.3kmのジョギングコーズがあるので、散歩にはちょうど良いです。

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日産自動車がキューブをモチーフにデザインした、「21_21 Q」と呼ばれる売店も目を引きます。

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鋭角の斬新なデザインの建物は、「21_21DESIGN SIGHT」というデザインのためのリサーチセンターです。現在はチョコレートをテーマとしたイベントをやっていました。

隣の檜町公園は、萩藩・毛利家の麻布下屋敷庭園跡の和風の落ち着いた雰囲気です。

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六本木ヒルズのビアフェスタ

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六本木ヒルズでビール5社(キリン・アサヒ・サッポロ・サントリー・オリオン)が集結し、ビアフェスタを実施していると聞いて訪れました。
ビアフェス2007>>

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六本木ヒルズの66プラザがビアガーデンに変身しています。音楽やダンスなどのイベントが始まると一気に会場も盛り上がります。

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ビール会社が勢ぞろいしてのイベントは珍しいそうです。せっかくの機会ですからそれぞれのビールを味わってみました。

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六本木ヒルズ入り口のメトロハットも巨大なビアジョッキに変身していました。

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「叱られて」「みどりのそよ風」「靴が鳴る」の歌碑

東武東上線和光市駅(有楽町線和光市駅)南口に、童謡「叱られて」「
みどりのそよ風」「靴が鳴る」の歌碑があると聞き、訪れてみました。

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「叱られて」「靴が鳴る」「雀の学校」などの童謡を作詞した清水かつらは、
東京深川に生まれ関東大震災で埼玉県和光市に移り、以後亡くなるまで
過ごしたので、ここに歌碑が建てられたようです。
「みどりのそよ風」は、白子と成増の間を流れる白子川を主題に昭和23年
作詞され、春の光景を描いたのどかな歌詞と、明るく朗らかな旋律が
特徴です。

みどりの そよかぜ いい日だね
ちょうちょも ひらひら 豆の花
なないろ畑に  いもうとの
つまみ菜 つむ手がかわいいな


「靴が鳴る」が作詞された大正8年当時の子供の履物は、草履や下駄だった
そうです。
その当時に、新しい靴が「キュッキュッ」と鳴る音は子供たちの憧れだった
のではないでしょうか。
新しい靴を履いて嬉しくて、心が弾んで歩き回る光景が目に浮かびます。

お手てつないで 野道をゆけば
みんな可愛い 小鳥になって
唄をうたへば 靴が鳴る
晴れたみ空に 靴が鳴る

大正9年発表された「叱られて」は、叱られながらお使いや子守りをしている
子供達が日暮れとなり心細く寂しくなってきた様子が印象的です。
子供は、奉公人か子守のようですが、こちらには面白い話が載っていました。>>

叱られて
叱られて
あの子は町まで お使いに
この子は坊やを ねんねしな
夕べさみしい 村はずれ
コンときつねが なきゃせぬか

歌碑を見ているだけで、懐かしい歌が聞こえてくるような気がします。


Walkerひで”今日も歌碑めぐり”>>

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関口芭蕉庵と新江戸川公園

鳩山記念館から神田川沿いにある緑が多い江戸川公園を訪れました。

かつて、小石川関口台辺りから、飯田橋までの神田上水は江戸川と呼ばれていたそうです。

この辺りは、神田川の水を利用しての紙漉きが盛んだったそうですが、その名残か印刷関係の会社が目立ちます。

江戸川公園を歩いてゆくと、落ち着いた佇まいの「関口芭蕉庵」がありました。

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1677(延宝5)年からの4年間、深川入庵以前の松尾芭蕉が、神田上水の工事に携わった際に居住していた場所だそうです。

さらに神田川沿いを歩いてゆくと新江戸川公園にたどり着きます。

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新江戸川公園は、江戸時代末期熊本藩主細川家の下屋敷で明治
15年(1882)に細川家の本邸になった場所で、起伏の変化を利用し、自然景観を重視した回遊式泉水庭園です。江戸時代の純日本式武家庭園の面影を残しているそうです。
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落ち着いた園内はゆったりと新緑を楽しむことができます。

表通りを歩いていると気がつきませんが、この辺りは江戸時代の由緒が多い場所です。

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鳩山会館のバラ

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バラのきれいな時期なので、バラで有名な文京区音羽の鳩山会館を訪れました。
鳩山会館は、民主党元代表鳩山由紀夫の祖父でかつての首相鳩山一郎の邸宅を一般公開しているものです。

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鳩山家がこの音羽の地に居を構えたは明治24年(1891)で、洋館が完成したのは、大正13年(1924)のことだそうです。

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南の庭に面したサンルームは明るくて開放的です。


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この洋館を建てたのは一郎で、戦後政治の基礎となった自由党(現・自由民主党)の創設や、日ソ国交回復の下準備も、ここを舞台に行われたそうです。

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ちょうど見頃のバラに洋館が良く似合います。
鳩山会館>>

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横浜媽祖廟

横浜中華街には関帝廟が有名ですが、20063月に媽祖廟(まそびょう)も建立されました。

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媽祖とは、宋の時代の実在した女性で、成長するにつれ霊力で人々を助け、亡くなったあと海を守る神様となったそうです。
中国の沿岸地方ではとても有名な神様で女神としては最上位の神様だそうです。

媽祖の信仰は、華僑の出国にしたがって世界各地へ伝わり、華僑のいる多くの地域には、媽祖廟が祀られているそうです。
現在世界には媽祖廟は、
26か国1500余か所の地区に及んでおり、媽祖さまを祀る人々は2億人といわれているそうです。

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絢爛な横浜媽祖廟を見ていると、華僑の方々の思いが伝わってきます。

横浜媽祖廟>>

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「赤い靴」「かもめの水兵さん」「ブルーライトヨコハマ」

山下公園まで散歩に出かけました。この時期はバラがきれいです。

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山下公園は大正12年(1923年)91日に起きた関東大震災の被害で生じた瓦礫や焼土を埋め立てて造成され、日本で最初の臨海公園として1930年(昭和5年)に開園したそうです。

山下公園には「赤い靴履いてた女の子」像があります。

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野口雨情作詞の童謡「赤い靴」は、大正11年(1922)発表されましたが、その歌詞の赤い靴の女の子は明治35年生まれの岩崎きみちゃんという、実在する女の子だそうです。

きみちゃんが2歳の時、母かよは北海道に渡りましたが、この過酷な環境子供を育てることが出来ず、きみちゃんの養育をアメリカ人宣教師のヒエット夫妻に託すことになりました。

やがてヒエット夫妻はきみちゃんを連れて本国に帰る事になりました。

後に、野口雨情はかよさんの夫の鈴木志郎さんと親交をもつようになり、養女にしてしまったきみちゃんの話を聞き、幸せにアメリカで生きているきみちゃんを思った野口雨情は、「赤い靴をはいた女の子」というイメージで作詞したそうです。

しかし、この話は麻布十番にある赤い靴像では意外な展開となります。
赤い靴の女の子は海外に行っていなかった。>>

また、今は一般公開されていない氷川丸ですが、そのすぐ前には「かもめの水兵さん」の歌碑があります。

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昭和8年の秋、横浜港のメリケン波止場に叔父を見送りに来ていた童謡詩人の武内俊子が、桟橋に飛び群れていたカモメを見て強い印象を受け、作詞したそうです。

さらに山下公園から中華街まで歩いてゆくと、スターホテル横浜の案内板に「あの曲で有名な“ブルーライトバー”と書かれているのを見かけました。

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スターホテル横浜のWebサイトには

サザンのあの曲で有名な“ブルーライトバー”が大人のパーティースペースを演出します。」とあります。2005年にリリースされた「ブルーライトヨコハマ」を指していますが、もちろん原曲は1969年にリリースされたいしだあゆみの大ヒットナンバーです。

横浜港は歌の素材になりやすいようです。

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「生麦事件之跡」の碑

京浜急行の生麦駅から、キリンビールの工場見学とできたて生ビールが楽しめるキリン横浜ビアビレッジに歩いてゆくと、入り口の手前に「生麦事件之跡」の碑がありました。

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生麦事件は、江戸時代末期の文久2年(1862821日に薩摩藩主の島津久光が江戸からの帰国途中、相州生麦村(現横浜市鶴見区)を通過した際、横浜在住のイギリス人4人が乗馬のまま横切った。これに怒った一部藩士が斬りかかり、1人が死亡、2人が負傷した事件です。

この事件でイギリスは薩摩藩に関係者の処罰と賠償を要求しましたが、薩摩藩は拒否し、これが翌年の薩英戦争に繋がったそうです。
近所には、生麦事件参考館もあります。

生麦という地名とは関係ないですが、キリン横浜ビアビレッジの生麦酒(ビール)はとてもおいしいです。

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見沼通船掘

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見沼たんぼに流れるのどかな芝川沿いを歩いていると、見沼通船掘というものを見かけました。

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見沼通船掘は、見沼代用水と芝川を結ぶ閘門式運河です。
享保
16年(1731)に作られ江戸時代後期から明治時代の内陸水運(見沼通船)で重要な役割を果たしたそうです。

用水路は江戸まで直接つながっていない為、江戸市中を流れていた隅田川に注ぐ芝川と用水路を結ぶ必要性がありました。

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しかし、用水路は芝川より数100m程度しか離れていませんが、標高で約3mほど高い位置を流れており、直接運河を掘っても水流のため船を通すことが困難でした。

このため、閘門式の見沼通船掘が造られたそうです。

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閘門式運河は、運河を結ぶ2点間の水位が異なる場合、途中に水門を設けて、そこで水位を調整して船を通過させるものです。
太平洋と大西洋を結ぶパナマ運河が同じ方式のものでは有名ですが、それと同じものが見沼たんぼに造られたとは意外です。

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見沼たんぼと唱歌「案山子」の碑

武蔵野線の東浦和駅から東川口駅にかけて見沼たんぼと言われるのどかな田園風景が広がっています。

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見沼たんぼは、埼玉県の川口市・さいたま市にまたがる芦ノ湖の2倍、1260ヘクタールにもなる広さだそうです。

見沼はもともと広大な沼沢地で、江戸初期の寛永6年(1629)関東郡代伊奈半十郎忠治によって新田開発のため八丁堤が築かれ、江戸中期徳川吉宗の享保の改革によって幕府財政建て直しのため各地で新田開発を押し進め、見沼も見沼代用水が作られさらに開発されることになったそうです。

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見沼代用水沿いを歩いていると、氷川女体神社に隣接した見沼氷川公園で巨大な案山子(かかし)の像を見かけました。

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台座には「唱歌『案山子』発祥の地」と刻まれています。

この地が唱歌「案山子」を作詞した武笠三が生まれた場所で、たわわに実る見沼たんぼの稲穂を歌ったものだそうです。

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歌詞通りの風景が広がっていたことは浦和くらしの博物館民家園に偲ぶことができます。

見沼たんぼは田園風景を満喫できる貴重な場所です。

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