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2007年7月

郵便発祥の地と銀行発祥の地

江戸橋付近の日本橋郵便局には郵便発祥の地の碑があります。

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それまでの飛脚制度にかわる日本の近代的郵便制度明治4年(1871)前島密により、東京-大阪間で始まりました。
現在、日本橋郵便局がある場所は郵便制度発足時に、駅逓司(今の郵政省)と東京郵便役所(今の中央郵便局)が置かれたところだそうです。

また、歩いて数分のみずほ銀行兜町支店の外壁に「わが国銀行発祥の地」という
銘板がはめ込まれています。場所 : 兜町4-3

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明治 6年(1873)、渋澤栄一 がこの地に我が国初の近代銀行の「第一国立銀行」を開業したそうです。
当時の建物は、三井組が建てた「三井組為替方」を譲り受けたもので、壮麗な和洋折衷建築として有名だったそうです。

明治初期に近代日本を支える郵便と銀行が相次いで開業したのは、このあたりが日本の中心であったことの証とも言えます。

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松任谷由実「雨のステイション」歌碑

中央線の立川駅から青梅線で1駅の西立川駅は、国営昭和記念公園の
入り口があり、休日は行楽の人が多く訪れます。
その西立川駅公園口に″ユーミン″松任谷由実の「雨のステイション」の
歌碑があります。

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歌碑には「雨のステイション」の歌詞が刻まれています。

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昭和記念公園が米軍基地であった頃「スピード」というディスコで朝まで遊んだ帰り、
雨の西立川駅で始発を待つ自分自身の心情を詩にしたものだそうです。

その頃の西立川の情景を 松任谷さんは、エッセイ集「ルージュの伝言」(角川文庫)
のなかで、

「…秋とか、冬とかだと、まだ真っ暗じゃない。霧がすこし深いわけ。
信号の色で街じゅうが変わっちゃうのよね。
信号が変わるたびに街が赤になったり、青になったり。
アスファルトがぬれていて。
だからグルーミーな景色というのがとっても好きなの。
『雨のステイション』というのは、雨といってもザアザア雨じゃなくて、
霧雨というか、シトシト雨で、西立川のお話なのね…」

と言っているそうです。歌碑(↓クリックで拡大)より

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今まで気がつきませんでしたが、西立川駅のチャイムも雨のステイションです。

世田谷区岡本の松任谷由実夫妻寄贈の灯篭や、中央フリーウェイ」の歌詞
にある調布飛行場、など松任谷由実さんにまつわるものによく出くわします。

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コネタマ参加中: 「雨」と聞いて思い浮かぶのはどんな曲?

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伊勢佐木町のゆずの碑と伊勢佐木町ブルース の碑

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伊勢佐木町のストリートミュージシャンが多いところで、ゆずもここで演奏
していたことが知られています。
松坂屋の入り口にはそれを記念した看板があります。

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その看板には「屋上にもゆずがいる」とあるので、屋上まで上がってみました。

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屋上の一角に、松坂屋の前で2人が歌を歌っている姿を描いたそれらしい
イラストがありました。どの程度似ているのでしょうか?

伊勢佐木町をさらに歩いてゆくと、ピアノの形をした伊勢佐木町ブルース
の碑がありました。

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ボタンを押すと曲が流れるようです。伊勢佐木町ブルースは青江三奈が
1968年に歌った曲ですが、現在も伊勢佐木町では
「伊勢佐木町ブルース・フェスタ」というイベントが開かれているそうです。




詳しい説明は

伊勢佐木町ブルースの碑

伊勢佐木町ブルース・フェスタ

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日本橋魚河岸記念碑

日本橋の脇に日本橋魚河岸記念碑があります。

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記念碑は乙姫をかたどったもので、竜宮城の住人である海の魚がことごとく日本橋に集まったことをあらわしているそうです。
徳川家康の関東入国の後、隅田川へと続く日本橋川の水運を活かし、水路の整備が進められ、縦横に走る水路を通じて物資が運ばれるようになると、荷揚げ場所にはさまざまな河岸が立つようになります。
幕府の膳所に供するために漁業をしていた佃島の漁師たちはのち、日々上納する残りの鮮魚を舟板の上で並べて一般に販売するようになりました。
これが日本橋魚河岸の始まりだそうです。近所の京橋には京橋大根河岸青物市場跡があります。

一心太助の話でも有名な日本橋魚河岸は1923年の関東大震災で築地に移転するまで、江戸・東京の一大魚市場として栄えていたそうです。
その一心太助の墓を高輪で見たことを思い出しました。

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日本橋はウォーキングの聖地

日本橋界隈は買い物や食事に訪れても、日本橋自体はあまりよく見たことがなかったので、立ち寄ってみました。

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1603年、江戸幕府を開いた徳川家康は、まず江戸と地方を結ぶ交通輸送路の確保が重要しし、江戸開府と同じ1603年に日本橋が架けられたそうです。

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日本橋は東海道、中山道など五街道の起点と定められたところから、日本橋は交通の要衝としての役割を果たすこととなりました。

現在の日本橋は19代目の1911年に架けられたルネッサンス式石造の二連アーチ橋です。

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橋柱には獅子像、麒麟像の装飾が施された重厚なデザインで、国の重要文化財に指定されています。
最近は上を覆っている首都高速道路を地下へ通し、景観を復活させる構想が取りざたされていますが、そうした考え方も理解できます。

現在でも橋の中央には「日本国道路元標」の文字が埋め込まれており、橋の袂にはそのレプリカがあります。

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日本国道路元標

道路元標は市町村毎に設置されるそうですが、日本橋の歴史的意味合いから、東京市の道路元標が日本国の道路元標とされています。
現在、日本橋を始点としている国道は、以下の七本です。

国道1号(東海道) 終点:大阪市・梅田新道
国道4号(奥州街道・日光街道) 終点:青森市
国道6号(水戸街道) 終点:仙台市
国道14号(千葉街道) 終点:千葉市
国道15号(東海道の一部) 終点:横浜市
国道17号(中仙道) 終点:新潟市
国道20号(甲州街道) 終点:塩尻市

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日本橋里程標(東日本方面)

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日本橋里程標(西日本方面)

ウォーキング好きにとって、日本橋は聖地と言ってよい場所のような気がします。

日本橋に関する説明>>

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甘酒横丁と谷崎潤一郎生誕の地

水天宮からぶらぶらと歩いてゆくと甘酒横丁がありました。

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明治の初め頃にこの横丁の入り口の南側に水天宮の参拝客に人気の尾張屋という甘酒屋があったことから『甘酒屋横丁』と呼ばれていたそうです。

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通りの入り口の豆腐店にはさまざまな甘酒商品が並んでいます。
甘酒屋が軒を並べているわけではありませんでしたが、甘酒横丁は和菓子店、たい焼き屋、手焼きせんべい屋、三味線屋など、下町情緒あふれる昔ながらの通りです。

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「甘酒横丁」の交差点を挟んで反対側には向田邦子さんも常連だったという、大正8年創業「喫茶去(きっさこ)快生軒」や親子丼で有名な「玉ひで」があります。そのすぐそばのビルの壁面には「谷崎潤一郎生誕の地」の碑があります。
谷崎潤一郎は、1886年、この地にあった祖父の経営する谷崎活版所で誕生したそうです。


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この一角には歴史があって下町らしいおいしそうなお店が多くて目移りしてしまいます。

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水天宮へ

日本橋蛎殻町にある安産、子授けの水天宮を訪れました。水天宮駅を降りる人も赤ちゃんを抱いた人や妊娠中の人が目立ちます。

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水天宮は福岡県・久留米市にある久留米水天宮の分社で、久留米藩主有馬家により崇敬されていたが、文政元年(1818年)、9代藩主有馬頼徳が江戸の久留米藩江戸屋敷に分霊を勧請した。これが江戸の水天宮の始まりだそうです。

藩の屋敷内にあったため一般の人の参拝できませんでしたが、塀越しに賽銭を投げ込む人が後を絶たなかったそうです。

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あまりの人気に応え、毎月5の日に一般の人にも開放され、人々は、「情け深い」ことを感謝する際に、有馬家と水天宮を洒落て、「情け有馬の水天宮」という地口も生まれたほどであった。先日訪れた「恐れ入りやの鬼子母神」という言葉と共に、江戸の一種の流行語だったそうです。

1871(明治4)年、水天宮は屋敷の移転と共に赤坂に移り、さらに翌年、現在の日本橋蛎殻町に移転しました。

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社殿の脇には「子宝いぬ」は周囲を取り巻く十二支の内、自分の干支を撫でるとご利益があると伝えられています。

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妊婦や赤ちゃん連れが安心して参拝できるよう、境内の下は駐車場でエレベーターで境内に入れるようになっています。

境内は赤ちゃんを中心に記念撮影をする人たちや、安産を祈る人たちの笑顔であふれていました。

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そんな人たちを相手に境内には安産グッズを売るお店が並んでいます。

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奉納されている清酒樽も名前は「初孫」です。
水天宮は本当に出産・子授け一色の空間です。

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常円寺 便々館湖鯉鮒狂歌碑

高層ビルが立ち並ぶ西新宿を歩いていると、周囲の雰囲気とは似つかわ
しくない由緒ありげな常円寺という寺院を見かけました。

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境内には「便々館湖鯉鮒狂歌碑」と書かれた石碑があります。
石碑には、狂歌師便々館湖鯉鮒(べんべんかんこりふ)の
「三度たく米さへこはし柔かし おもふままにはならぬ世の中」
という狂歌が刻まれています。

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石碑の文字は、狂歌・洒落本・滑稽本の作者として知られた大田南畝
(1749~1823年)の筆によるものだそうです。


この寺院には、幕末に南町奉行を勤め嘉永六年に長崎に来航した
プチャーチンと会談し、日露和親条約締結の全権も務めた幕臣筒井政憲
の墓や、日本銀行本店や東京駅を設計した辰野金吾氏の墓所があるそうです。

このあたりは江戸時代には五街道のひとつ甲州街道と青梅街道の分岐点
となる宿場町内藤新宿のすぐ近くだけに江戸時代のエピソードが多そうです。

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入谷の朝顔市

入谷の朝顔市に出かけました。朝顔を買い求める人たちで午前中から大変な人出です。

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入谷が朝顔で有名になったのは、明治になってからのことで、土質が朝顔造りに適していたことから、この地で十数件の植木屋が軒を連ねて朝顔造りを始めたのだそうです。

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現在は地元では生産していないそうですが、昭和20年代に復活した入谷の朝顔市は今では下町の夏の風物詩として人気です。

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色とりどりの朝顔に目移りしますが、その間にも次々と朝顔は売れてゆきます。

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朝顔市の時期は、太田屬山人の狂歌「恐れ入りやの鬼子母神」で有名な真源寺境内には、お参りをする参拝客と朝顔、朝顔守りを求める来場者が訪れていました。

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境内にも、朝顔の鉢が数多く置かれています。

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紙で朝顔の形をかたどった、朝顔守りです。
守り札を渡される際には、僧侶が火打石を打ちながら真言を添え、厄払いを行なってくれます。




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新宿花園神社の「圭子の夢は夜ひらく」歌碑

新宿の歌舞伎町に近い花園神社の境内は、酉の市の時は大勢の人と威勢の良い掛け声で賑わいますが、この時期はひっそりとしています。

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大鳥居を潜り花園神社の境内に入るとすぐ脇に芸能浅間神社があります。

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花園神社は安永9年(1780)と文化8年(1811)の大火で社殿を焼失した時、社殿を再建するため境内に劇場を設けて、見世物や演劇、踊りなどを興行して好評を博したそうです。

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花園神社と芸能の縁は、この頃から始まったものだそうですが、現在でも、演劇や歌曲など芸能関係の奉納が多いそうです。

神社の周囲には奉納した芸能人の名前が並んでいます。


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芸能浅間神社の社の隣には、宇多田ヒカルの母親の藤圭子が新宿歌舞伎町の夜を唄った、歌謡曲
「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑がありました。

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