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日本橋 一石橋

日本橋のそばにある一石橋は江戸城の外濠が日本橋川と分岐する地点に江戸初期からあった木橋だそうです。
「一石橋」の名前の由来は落語の十徳 (じっとく)でも知られていますが、この橋の北橋詰に幕府金座御用の後藤庄三郎、南橋詰に御用呉服商の後藤縫殿助が住んでいたことから、江戸っ子の駄洒落で両後藤=五斗+五斗=一石で、一石橋と名付けられたそうです。
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大正11年6月に木橋からRCアーチ橋(鉄筋コンクリート)に改架され、花崗岩の石張りの立派な橋となりました。橋幅は広く、中央を市電が通っていたそうです。
翌12年9月の関東大震災でも落橋せず使用されていましたが、現在ではその面影が残っているのはこの橋の親柱1本だけです。
残った親柱1本は大正11年当時の重量感ある大型の親柱で、関東大震災以前のRCアーチ橋のものとしては、都内最古の親柱として貴重な近代文化遺産とのことです。

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橋のたもとには「迷子しらせ石標」があります。
説明板によれば、江戸時代も後半に入る頃、この辺から日本橋にかけては盛り場で迷子も多かったそうです。

迷子がでた場合、町内が責任をもって保護することになっていたので、付近の有力者が世話人となり、安政4年(1857)にこれを建立したそうです。
柱の正面には「満よい子の志るべ」、左側には「たづぬる方」と彫り、上部に窪みがある。

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利用方法は左側の窪みに迷子や尋ね人の特徴を書いた紙をはり、それを見る通行人の中で知っている場合は、その人の特徴を書いた紙を窪みに貼って迷子や尋ね人を知らせたそうです。

いわば庶民の告知板だそうですが、このようなものまで必要なほど、人々が行き交い賑わっていたことがよく分かります。

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