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上野の駅伝の碑と正岡子規記念球場

上野公園の不忍池の弁天島に渡る橋のたもとに、駅伝の碑がが建っていました。

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大正6(1917)年4月27日, 28日, 29日の3日間にわたり「東海道駅伝徒歩競走」が
開催され、京都と東京の間(508km 23区間)で 駅伝が行われたそうです。
スタートは、京都の三条大橋、ゴールは上野不忍池の博覧会正面玄関だったそうです。
これが 駅伝のはじめとされています。

これを契機として, 3年後の大正9年に 箱根駅伝が誕生したそうです。
全く同じデザインの記念碑が, 駅伝の出発地である 京都にも建てられているようです。

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上野公園の野球場は、平成18年7月から「正岡子規記念球場」と命名され、
野球場の脇には正岡子規の「春風やまりを投げたき草の原」の句が刻まれています。、

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正岡子規(1867~1902)は愛媛県松山市に生まれ、明治時代のはじめに日本に
紹介されて間もない野球(ベースボール)を愛好し、明治19年頃から同23年頃に
かけて上野公園内で野球を楽しんでいたそうです。

子規の随筆『筆まかせ』には、明治23年3月21日午後に上野公園博物館横空地で
野球の試合を行なったことが記されています。
また、子規はベースボールを「弄球」と訳したほか現在も使われている「打者」「走者」
「直球」などの訳語も作ったそうです。

駅伝と野球のルーツが上野にあるとは意外でした。

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