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2007年9月

神田明神の銭形平次の碑と小唄碑、国学発祥碑

神田明神を訪れました。

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神田明神は神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神だそうです。
江戸時代を通じて江戸総鎮守として、幕府をはじめ江戸庶民たちからも大切に
されてきました。

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野村胡堂の「銭形平次捕物控」と言えば、長谷川一夫の映画や大川橋蔵のテレビドラマが有名です。
その主人公銭形平次は、神田明神下に住み「明神下の親分」と呼ばれることから、神田明神の境内の明神下を見下ろす地に寛永通寶を形どった銭形平次の碑があります。
その脇には子分の八五郎(通称:ガラッ八)の小さな碑も並んでいました。


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国学発祥の碑もあります。
賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤とともに、国学の四大人の一人といわれる荷田春満(かだのあずままろ)が、江戸に下って神田明神の神主である芝崎好高の屋敷で和学の講義を行ったことから、この神田明神が江戸における国学の発祥の地とされているそうです。

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小唄は江戸時代末期に確立した三味線音楽の一つです。
神田明神で行われる神田祭は粋でいなせな象徴で、江戸小唄には神田祭が随所に取り入れられていることから、大正・
昭和の小唄の作曲に大きな功績を残した吉田草紙庵を顕彰する小唄塚が昭和31年に建てられ、さらに小唄作詞家協会によりその30周年の62年に小唄作詞塚が並んで
建てられたそうです。

神田明神には江戸文化にまつわるいろいろな碑がありました。

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湯島聖堂とニコライ堂を結ぶ聖橋

JR御茶ノ水駅と神田川を跨ぐ聖橋は、関東大震災後の昭和2年に完成したアーチ橋で,美しい姿の橋として有名です。


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「聖橋」の名前は、橋の北側にある江戸幕府の官学所となっていた「湯島聖堂」と,南側にある日本ハリストス正教会復活大聖堂
「ニコライ堂」の両聖堂の両方に通じていることから、名づけられたそうです。
日本と西洋の聖堂がひとつの橋の両脇にあるとはなんとも不思議です。


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ニコライ堂の名は、日本に東方正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭聖ニコライにちなむもので、明治17年に起工し、明治24年に完成した7年を要した建造物だそうです。
当時日本には専門の技師がいなかったので、ロシアのシチュールポフ博士が設計し、英国人ジョサイヤ・コンドル博士が工事を監督したもので、ビザンチン様式と呼ばれ、西欧のゴシック様式の教会堂と異なり、中央に丸天井(ドーム)をもち、外部から見ても実に雄大で堅牢なものです。

聖橋を渡るとすぐ湯島聖堂です。

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湯島聖堂は江戸時代初期の儒学者
林羅山が上野忍ヶ岡に建てた孔子廟を、元禄31690)年に5代将軍徳川綱吉が湯島に移したものだそうです。

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1797年(寛政9)には、幕府直轄の学校「昌平坂学問所」が聖堂の敷地内に開設されました。
都心で貴重な静かな場所なので、今も読書をしている人の姿が多いです。

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野辺山駅と姉妹駅の馬喰町駅

総武本線(総武快速線)の馬喰町駅で「馬喰町野辺山姉妹駅」と書かれた看板を見つけました。

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馬喰町駅は海抜マイナス27.14mと国鉄・JRを通じて1番低い駅でありましたが、平成23月京葉線東京駅がJRで一番低い駅となりました。
小海線野辺山駅とは1番高い駅1番低い駅として昭和636月姉妹駅となり、現在も継続しています。

と書かれています。

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ちなみに青函トンネルにある吉岡海底駅が海抜マイナス149.5mですが、吉岡海底駅は見学するだけの駅なので、普通の駅としてJR最深駅は京葉線東京駅で、海抜マイナス29.19mとのことです。

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西向天神社 藤圭子「新宿の女」歌碑

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東新宿の西向天神社には、宇多田ヒカルの母親で演歌歌手の藤圭子の
デビュー曲「新宿の女」<昭和44年(1969)>の歌碑があります。

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「新宿の女」を作詞した石坂まさをの作詞作曲家生活30周年を記念して
平成11年(1999)に建てられたものだそうです。
西向天神社は、「新宿の女」のキャンペーンのために二人が新宿の
飲屋街を25時間ぶっ続けで流して回るという「新宿25時間キャンペーン」
のスタートを切った記念の場所だそうです。

新宿花園神社の「夢は夜開く」の歌碑ともども、新宿は藤圭子に縁が
深いようです。

東京都新宿区新宿6-21-1

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西向天神社 紅皿の碑

大江戸線東新宿の近くにある西向天神社を訪れました。

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この西向天神社紅皿(べにざら)の碑があります。

太田道灌山吹の里伝説に登場する紅皿の墓であると伝えられる板碑です。

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鷹狩の最中ににわか雨にあった太田道灌 (14321486)から蓑(みの:
当時の雨具)を求められた農家の少女の紅皿)は、
庭に咲いていた
山吹の一枝を差し出しただけでした。その枝には古歌

七重八重(ななえやえ)、花は咲けども山吹の、
みのひとつだに無きぞ悲しき
 


の意味が込められていました。
家臣から「実の」と「蓑」が懸けられているのだ、と教えられた道灌は、
無学を恥じて和歌を勉強し、後に紅皿を江戸城に呼んで和歌の友と
したそうです。

道灌が亡くなった後、紅皿は大久保に庵を建てて尼となり、
死後その地に葬られたそうです。


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神社の入り口には山吹坂という小さな坂があります。
江戸時代初期の頃のこのあたりの風景が伝わってきます。

東京都新宿区新宿6-21-1

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松島の観瀾亭と童謡「どんぐりころころ」の碑

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松島湾に面した観瀾亭は、もともと豊臣秀吉の伏見桃山城にあった茶室を
伊達政宗がもらい受けて江戸の藩邸に移してあったものです。

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二代目伊達忠宗が納涼の月見のために、松島へ一木一石変えずに
移築したものだそうですが、それだけに松島湾が一望の良い眺めです。

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床の間や襖、障子腰板には金箔を張り付け、極彩色で描かれた
林木花卉と渓流の図が華麗です。

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そんな観瀾亭の庭の一角に童謡「どんぐりころころ」の碑があります。
童謡「どんぐりころころ」の作詞者・青木存義(あおきながよし)氏は
明治12年松島町生まれの国文学者だそうです。
意外なところで意外な曲の歌碑に出会いました。

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松島巡り

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宮城県の松島を訪れました。


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松島は、「天橋立」「宮島」と並ぶ日本三景のひとつですが、
青い海に大小260余りの島々が散在する光景は美しいです。

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船と並んで飛ぶカモメたちはエサを上手にキャッチします。

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海上から見た五大堂の姿が美しいので、下船してから
見物に行きました。

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五大堂は、大同2年(807年)、坂上田村麻呂が東征のおり、
毘沙門堂を建立したのが最初だそうです。
現在の建物は、伊達政宗が再建したもので桃山式建築手法
の粋をつくした建物だそうです。

松尾芭蕉が『奥の細道』で松島を訪れた際に、
あまりに絶景なので句が浮かばず、
松島やああ松島や松島や
と詠んだという逸話がありますが、それも納得できます。

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中尊寺へ

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平泉の中尊寺を訪れました。

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中尊寺は長治2年(1105)より、奥州藤原氏の初代清衡公により多くの堂塔伽藍
が建立されたそうです。

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きれいな茅葺の白山神社能舞台は、嘉永6年(1853年)に伊達藩によって
再建されたものだそうです。
近世の能舞台の遺構としては東日本唯一のもので、日本の芸能史上貴重な
ものだそうです。


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有名な金色堂は天治元年(1124)の造立で、中尊寺創建当初の唯一の遺構です。
金色堂は覆堂〔おおいどう〕で保護され、撮影禁止ですが、皆金色の阿弥陀堂で
みごとな装飾です。

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中尊寺といえば、松尾芭蕉が奥の細道で訪れ詠んだ句

夏草や 兵どもが 夢の跡

五月雨の 降残してや 光堂

を思い出します。境内にはその句碑や芭蕉像があります。

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源頼朝に追われた義経と弁慶たちは、藤原秀衡を頼って奥州に落ち延び
中尊寺に居館を定めましたが、源頼朝の命に応じた藤原泰衡に攻め込まれ
弁慶の立ち往生と言われる壮絶な最後をとげました。

中尊寺参道の入り口には、その武蔵坊弁慶の墓がありました。

江戸や鎌倉からはるか遠いこの平泉の中尊寺は、日本の歴史のさまざまな
場面で登場してきます。

   

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奥入瀬渓流を歩く

十和田湖畔から続く奥入瀬渓流は豊かな自然景観の約14kmの流れです。

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渓流沿いの遊歩道を歩きながら手軽にこうした風景を楽しめるので、
多くの人が訪れています。

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豊かな自然や大小の滝や巨大な岩などにより、水の流れがさまざまに変化し、
光り輝く光景は優美で躍動感を感じます。

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幅20m高さ7mの銚子大滝は、その高さのせいで十和田湖に入ろうとする魚を
拒む存在で、十和田湖の神秘を守る番人だそうです。

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九段の滝


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十和田湖と奥入瀬渓流の美しく神秘的な自然は貴重な存在です。

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十和田湖へ

青森県の十和田湖へ出かけました。
十和田湖は典型的な二重式カルデラ湖だそうですが、十和田湖を
見渡すことができる発荷峠から眺めると、外輪山に囲まれている
様子がよく分かります。

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日本で3番目に深い深さ327mの十和田湖は豊かな自然に包まれ、
静かで神秘的な雰囲気の
湖です。

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御前ヶ浜にたたずむブロンズ像「乙女の像」は、高村光太郎の晩年
の傑作だそうです。






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白井権八・小紫の比翼塚とお七の井戸

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目黒不動尊の仁王門の脇に白井権八・小紫の比翼塚があります。

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歌舞伎の中で、鈴が森で美剣士の白井権八が見事な剣さばきで雲助
十数人を切り捨てる姿を見ていた幡随院長兵衛が、立ち去ろうとする
白井権八を呼びとめるせりふ 「お若えの、お待ちなせえ」 
白井権八の 「雉も鳴かずば 討たれまいに----。」
は有名です。
 
歌舞伎での白井権八は腕が立つだけでなく、吉原三浦屋の遊女小紫
と恋仲になる美しきヒーローとして描かれているそうですが、
その2人の比翼塚です。
目黒不動尊から目黒雅叙園へ歩いてゆくと「お七の井戸」と書かれた井戸が
ありました。

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「お寺の小姓に恋慕した八百屋のお七が、小姓会いたさに自宅に火をつけ、
火刑にされた「八百屋お七」の物語は人気があり、 浄瑠璃や歌舞伎、小説、
落語などに数多く残されています。

小姓吉三はお七の死後 剃髪して僧になり、西運として、明王院(現在の
目黒雅叙園付近)に身をよせたそうです。

行人坂を石畳に直したのも、目黒川に太鼓橋を架けたのも、この西運だそうです。

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この井戸は、後に僧となった小姓吉三が念仏行に出かける前に、
お七の菩提を念じながら水垢離をとったことから「お七の井戸」と
言い伝えられています。
先日、駒込の吉祥寺で見たお七・吉三の比翼塚を思い出しました。

このあたりは、悲恋にまつわるエピソードが多いです。

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目黒不動尊と甘藷碑

目黒まで出かけたので、目黒不動尊を訪れました。

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目黒不動尊は眼青不動尊と眼赤不動同様、五色不動尊の一つとして
江戸城守護、江戸城五方の方難除け、江戸より発する五街道の守護に
当てられていたそうです。

目黒不動尊には、さつまいもの栽培を広めた青木昆陽のお墓と「甘藷先生碑」
があります。

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サツマイモは、江戸時代に琉球から薩摩を経由して日本に入ってきましたが、
やせた土地でも栽培できたことから、飢饉の時の救荒作物として重宝された
そうです。
毎年10月28日には遺徳をしのんで、甘藷祭りが開かれ、サツマイモや
大学イモを売る店が出て、大勢の参拝客でにぎわっているそうです。

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目黒さんま祭りへ

目黒駅前で開かれためぐろさんま祭りにでかけました。
普段は車の行き交う目黒通りにはさんまの煙が立ち込めています。

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目黒のさんまの由来は、目黒区のサイトに載っていました。>>
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大量のさんまが次々と焼かれてゆきます。

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煙が眼にししみるので、ゴーグルをしてさんまを焼く人もいます。

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周辺のビルは、さんまを焼く煙や臭いを避けるためカバーをしています。 


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岩手県宮古漁港から直送の新鮮さんまはおいしそうですが、食べるには
大変な行列です。

さんま祭りは秋を感じさせるイベントです。

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築土八幡神社の「金太郎」の碑と珍しい庚申塔

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神楽坂の築土八幡宮の境内には、“♪まさかりかついで きんたろう~”の
唱歌「金太郎」の歌詞が刻まれた歌碑があります。

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「浦島太郎」「一寸法師」「花咲爺」などの作曲者・田村虎蔵がこの神社の裏に住んでいた縁で、田村虎藏氏をたたえる顕彰碑だそうです。

この築土八幡宮にある庚申塔は珍しいデザインだそうです。

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寛文四年(1664)に奉納された庚申塔は、一対の雌雄の猿と桃の木を配した
ものです。
右側の牡猿は立ち上がり実の付いた桃の枝を手折っているのに対し、
左側の牝猿はうずくまり桃の実一枝を持っています。
庚申塔といえば三猿(見ざる言わざる聞かざる)が普通とのことですが、
ここの二猿に桃を配した構図は全国的にも極めて珍しく、
大変貴重なものだそうです。

ぶらぶらと歩いていると色々なことを知ります。

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神楽坂

神楽坂を訪れてみました。

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神楽坂の由来は江戸時代、神社に奉納する御神楽が聞こえる坂だったから
だといわれていますが、その神楽がどこで奏でられたかについては
いろいろな説があるそうです。
明治後期・大正時代には花柳界としても発展し、一時は芸者衆が650人以上
もお座敷に出ていたそうです。

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今も陶器やお香や着物など往時を感じさせるお店が残っています。

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1595(文禄4)年創建で1792年(寛政4)年にこの地へ移転した善国寺には
有名な「神楽坂の毘沙門天さん」があります。
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黒板塀の続く細い石畳の路地にはいると、文豪たちが数々の名作を
生み出した旅館「和可菜」があります。

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その他の路地もそれぞれに情緒ある風景に出くわすので、
つい歩き回ってしまいます。

落ち着いた雰囲気の神楽坂は何度でも訪れたくなります。

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駒込 富士神社

先日、駒込付近を歩いていると、「駒込のお富士さん」として江戸時代から
親しまれている、富士神社を見かけました。

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富士山信仰が盛んであった江戸期には、富士の浅間神社にお参りに行く
「富士講」が数多くでき、講中の中の代表者が実際の富士山を参詣に
向かい、その他の人たちは周辺に富士塚を築いて、これを富士山に
見立てて参詣していたそうです。

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この神社は、現在の本郷の東京大学構内にあったそうですが、
1629年、前田家が屋敷を造るにあたりこの地に移されたそうです。


このあたりは江戸に供給する野菜の栽培地としても有名だったそうで、
中でも駒込ナスは特産品として江戸の人たちに愛されたそうです。

有名な「一富士 ニ鷹 三なすび」の「富士」はこの富士神社を指している
そうですが、「ニ鷹」は、駒込は将軍家の鷹場で、この近くの天祖神社裏に
は鷹匠屋敷や鷹部屋が置かれていたそうです。
「三茄子」は、江戸時代の駒込界隈はなすが特産で「駒込茄子」はブランド
品だったそうです。境内には駒込ナスの碑があります。

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富士神社の境内には、石碑がたくさん並んでいます。
富士講には火消しの組も多かったそうで、纏をデザインした
粋な富士講碑も目立っていました。

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昭和のくらし博物館

大田区の東急多摩川線下丸子と、東急池上線久が原から近い
住宅街の一角にある、「昭和のくらし博物館」を訪れました。

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「昭和のくらし博物館」は木造二階建て建坪面積18坪の、
ごく普通の
民家なので、近くまで行っても見逃してしまいそうです。

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1951
年(昭和26年)に建てられたこの住宅は、初期住宅金融公庫
融資住宅として典型的な設計だそうです。

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建物の中には昭和の生活で使った家財道具や、ちゃぶ台をはじめ、
火鉢、氷の冷蔵庫など懐かしい生活用品が、生活の雰囲気そのまま
の自然な状態で並んでいます。(館内撮影禁止)

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庭にも井戸やゴミ箱、洗濯板など懐かしいものがあります。
この空間にいると、昭和30年代に戻ったような気分です。

昭和のくらし博物館>>

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