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2008年4月

神戸三ノ宮 生田神社

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神戸三ノ宮駅からほど近い、生田神社を訪れました。

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生田神社の歴史を調べると、
生田神社にまつられている神様は稚日女尊(わかひるめのみこと)といい、
伊勢神宮にまつられている天照皇大神の御幼名と伝えられているそうです。
神社の歴史は古く、西暦201年に神功皇后が三韓外征の帰途、
神戸港で船が進まなくなったため占を行ったところ、稚日女尊が現れ
「われは活田長峡国におらむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ。」と
日本書紀に記されている。

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806年に神社に租税を納める集落である神戸44戸が与えられ、生田神社に接した
これらの神戸が神戸村となり、 幕末にその海岸が神戸港として開港されたために、
現在の市名になったそうです。 

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神戸の歴史は生田神社の歴史そのものだったと知りました。

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明石の子午線交番

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日本の時間の基準になる、東経135度日本標準時子午線上にある
明石市天文科学館で、子午線の標識がある場所があると知り、
訪れてみることにしました。

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プラットホーム上に子午線が描かれた山陽電鉄人丸駅を通り過ぎた先の
交差点の大蔵交番脇にその標識はありました。

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「大日本中央標準時子午線通過地識標」と書かれた標識です。

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交番の入り口には、「子午線交番」 と金文字で書かれた立派な看板が
掲げられています。
明石が日本標準時であることに、地元の人たちが誇りを持っていることが
伝わってきます。

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日本標準時子午線 東経135度の明石天文科学館

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明石天文科学館を訪れました。ここは東経135度の日本標準時子午線の
上に建てられた、日本の時間の基準になる場所です。

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館内14階の展望台には日本標準時子午線である「東経135度」の
表示があります。線上に立つと、思わず時計を見てしまいますが、
特に変化はありません。

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展望台から外を眺めると、明石大橋や淡路島が一望できます。
眼下の山陽電鉄人丸前駅のプラットホームと高架橋の子午線の上に
白い線が引かれているのが見えます
(写真最下部の細長い四角い屋根の左上付近)
 
アップの画像を掲載しているサイトはこちら>>

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館内には、プラネタリウムや天体に関する展示室があります。
特に天体に興味があるわけではありませんが、展示室を見ていると
ミニチュア模型などで月、太陽、地球の3つの自転や公転の様子や
銀河系の様子など、、楽しく見てしまう仕掛けもいっぱいです。

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そんな館内の床にも東経135度線上には光る線が引かれています。
明石市立天文科学館は館内のどこにいても、「日本標準時子午線東経135度」
を実感できます

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姫路城の石垣の変わった石 姥が石

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姫路城はどこから見ても美しい姿です。

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城を下から見上げると、見事に積み上げられた石垣と白壁も優美な
眺めです。

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そんな石垣の1箇所に金網に覆われた奇妙な半円形の石がありました。

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この石は姥が石(うばがいし)といわれているものだそうです。
説明を読んでみると、

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羽柴秀吉が中国攻めの拠点として、この姫山に三層の天守を築いている時に
城の石垣の石がなかなか集まらず、苦労しているという話が広まっていました。
城下で焼餅を売っていた貧しい老婆がそれを聞き、「せめてこれでもお役に立てば」
と古くなった石臼(うす)を差し出しました。
これを知った秀吉は大変喜び、石臼を現在の乾小天守北側の石垣に使いました。
この話はたちまち評判となり、人々が競って石を寄進したため、
工事が順調に進んだといわれています。


とのことです。その石が現在も残っているとは驚きです。

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姥が石のすぐそばに周囲の漆喰の白壁とは雰囲気の違う黒い壁があります。

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この壁は油壁といわれるものだそうです。
この油壁も秀吉が築城した当時のものだそうです。
この油壁は名前とは違って、砂利と赤土粘土、などを米のとぎ汁など
で固めたものと言われています。
油などで固めている訳ではありませんが、その色から油を使用したよう
に見えるという事で油壁となったようです。

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関東地方では徳川時代や鎌倉時代の歴史にまつわる史跡がほとんどですが、
姫路城には秀吉の時代の様々な歴史が今も残っているので、興味深いです。

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姫路城になぜ、お菊井があるのか

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姫路城の備前丸広場の南側に「お菊井戸」がありました。

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お菊さんの皿屋敷の話といえば、「番町皿屋敷」を思い起こしますが、
「番町皿屋敷」は歌舞伎「播州皿屋敷」をベースに、大正5年(1916)に
岡本綺堂によって作。「新歌舞伎」の代表作の1つだそうです。



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「播州皿屋敷」は
当時の城主、小寺則職の家老であった青山鉄山がお家乗っ取りを
企てているのをお菊が知り、家老の恨みをかうことになったそうです。
家老の手下が家宝の皿の一枚を隠し、これをお菊の責任とし、お菊を
責め殺し、この井戸に投げ込んだそうです。
以来、夜になるとお菊の亡霊が現れ、皿を数える声が聞こえたといわれて
いるそうです。

一方、「番町皿屋敷」は
町奴との喧嘩に明け暮れる旗本の青山播磨は、相思相愛の腰元のお菊
が家宝の皿を割ることで、自分の愛情を試したことを知ります。
疑われたことを恥じた播磨は、お菊を切り殺して井戸に投げ捨てる
というストーリーです。

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優雅な姫路城ですが、その一角に悲しい話がありました。

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姫路城 千姫が居た百間廊下

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姫路まで出かけたので姫路城を訪れました。

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姫路城は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての建築技術の粋を極めた
傑作といわれているそうで、軍事的・芸術的にもっとも完成された文化財として
1993年、法隆寺とともに日本で初の世界文化遺産に指定されました。

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空に向かって建ち並ぶ天守群と美しい白壁の広がりが天を舞う白鷺のように
見えることから、別名白鷺城ともいわれます。
姫路城には秀頼の妻の千姫が住んでいたそうですが、歴史に疎いので
その経緯が良く分かりません。

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門構えにも優雅な雰囲気があります。

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百間廊下は、中書丸を守るため囲むように建てられた300m近い建物です。
渡り櫓や、千姫お付きの女たちが住んでいた長局・千姫の身支度や化粧直し
をするための化粧櫓からなります。

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廊下の窓からは、姫路城が細かいところまで細工ができていることが
良く分かります。

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百間廊下の反対側の窓からは本丸を望むこともできます。

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千姫について調べてみると、以下のような波乱に飛んだ生涯を送ったそうです。

徳川二代将軍秀忠の娘千姫はわずか7歳で、豊臣秀吉の子、秀頼に嫁ぎます。
やがて豊臣家と徳川家の争いが起こり、大阪夏の陣で大阪城は炎上し、この時、
千姫の祖父である家康の計らいで大阪城内に居た千姫は助け出されます。
その後、江戸に帰る途中、桑名城主本多忠政の子・忠刻(ただとき)と出会い
家康は、二人の結婚を認めます。
本多家が姫路城の城主となったので、千姫も姫路城の姫となりました。
その後、夫と亡くした千姫は、その後姫路を離れ、尼となり江戸で70歳まで
過ごしました。

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横浜 山下公園の花壇展

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横浜の山下公園を歩いていると、花壇展というイベントをやっていました。 

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普段は芝生の公園に様々な花壇が展示されています。

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市内の造園業者の方が作られた個性豊かな作品が並んでいます。

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花の色を活かしたアイデアに富んだ様々なレイアウトの花壇や

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アメリカ開拓時代や和風庭園をイメージした花壇などが競い合っています。
初夏の横浜は華やいでいます。
 









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野毛 洋食キムラ

野毛本通りを歩いていると、ハンバーグステーキで有名な洋食のキムラを
見かけました。

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店頭のメニューに気になる一文が書いてあります。
申し訳ございませんが本日は上記のメニューのみとさせていただきます。
一日も早く全てのメニューをご提供できるように致しますので、もうしばらく
お待ちください。


一体何があったのでしょうか?しかしお店は相変わらずの人気です。

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看板メニューのハンバーグは、歴史を感じさせる年季の入った貝殻型の鉄鍋
に入っています。
3年ものの梅酒を隠し味に使うなどこだわりのソースのかかったハンバーグの
隣には生たまごがのっていて、このたまごは真珠をイメージしているそうです。

こうしたお店はいつまでも変わらず残って欲しいです。

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野毛の大道芸

今日の桜木町駅は、みなとみらい側とは逆の野毛方面へ行く人が多いです。
野毛の商店街で大道芸のイベントが開催されています。

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会場の野毛本通りは大変な人盛りです

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コミカルなパントマイムは思わず見入ってしまいます。

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アクロバットコメディの ロブ・ロイさんは軽妙な会話と見事な技で
大変な盛り上がりです。

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こちらは中国の曲芸のようです。

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人盛りの後ろから見物するには便利そうな、大道芸見物マニアの必需品と
思われる潜望鏡型のグッズ「嗚呼見える」も力を発揮しています。

野毛大道芸はあちらこちらでさまざまな出し物があるので、見ていて飽きません。












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桜木町 チューリップの巨大花絵

桜木町駅前に鮮やかな絵が描かれているのを見かけました。
近づいてみると、チューリップの花びらで描かれているそうです。

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新潟市のチューリップを使ったアートイベントで、東京、横浜、大阪、
京都でこの時期に開催されているそうです。

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桜木町駅前のイベントではチューリップの花12万本を使って描かれている
そうですが、これは横浜開港150周年記念キャラクター「たねまる」だそうです。

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横浜では桜木町駅前や横浜赤レンガ倉庫などで5月2日まで開かれて
いますが、期間中は約50万本のチューリップを新潟から運ぶそうです。




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横浜ランドマークタワーからの風景

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横浜みなとみらいのランドマークタワーは横浜市内はもとより、都内や
三浦半島まで見渡すことができます。

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夜になり、下を見下ろすとコスモワールドの観覧車などの遊戯施設が、
光り輝きながらクルクルと回っています。

その姿は、まるで大きなピンボールゲーム機のようです。

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新緑の代々木公園

久し振りに 代々木公園に行くと、すっかり公園は新緑に包まれていました。

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大学の新入生歓迎や新入社員らしいグループなどで、賑わっています。

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先週までは花見の人も多かったようですが、今は桜の花は散って
いまいました。、

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新緑の木々の中を歩いていると、気持ちまでうきうきしてきます。

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公園の一角にはチューリップが咲き、写生をしている人も見かけます。
これからは、ウォーキングには良い季節です。

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池袋地名ゆかりの池と成蹊学園発祥の地

池袋西口のメトロポロタンホテルのすぐ傍に元池袋史跡公園があります。

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この公園には池袋地名ゆかりの池と書かれた碑があります。

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説明によれば
むかしこのあたりには多くの池があり、池袋の地名はこの池からおこったと
伝われています。
池には清らかな水が涌き、あふれて川となった。
この流れはいつのころから弦巻川とよばれ、雑司が谷村の用水として利用
されていました。
池はしだいに埋まり、水も涸れて今はその形をとどめていませんが、
昔をしのぶよすがとして池が復元されていました。

ということだそうです。

その隣には成蹊学園発祥の地の碑もあります。

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この場所は、現在、武蔵野市にある成蹊学園の前身、成蹊実務学校
が明治45年から大正13年まであった土地だそうです。

碑には『桃李不言 下自成蹊』と書かれています。
桃李, もの言わざれども 下おのずから 蹊を成す
この言葉は、 成蹊学園の名称のもとになった言葉で, 司馬遷が「史記」
の中で 李廣という人物を述べるため引用した諺で、意味は

人格のある人にはその徳を慕って 人々が集まってくる」だそうです。

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池袋 自由学園明日館

池袋駅から5、6分歩いた住宅地の中に、自由学園明日館(みょうにちかん)
という貴重な建物がある、と聞いたので出かけてみました。

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婦人之友社の創立者である羽仁吉一・もと子夫妻によって、大正10年に
女学校として創立された自由学園の校舎「明日館」は、帝国ホテルを設計した
ことで有名な、建築家フランク・ロイド・ライトが設計したものだそうです。

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羽仁夫妻の友人の建築家遠藤新が、たまたま帝国ホテルの設計のために
来日していたライトに設計を依頼して、建てられたのがこの明日館だそうです。
日本でライトが設計した建物はわずか数件で、現存しそのまま利用されている
のは、わずかに2件で、そのうちの一件がこの明日館とのことです。

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館内に入ると、幾何学模様が印象的な古さを感じさせないモダン建築です。

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明り取りの窓が大きく開き、廊下も開放感があり、館内は柔らかな
自然の光があふれています。

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明日館の向かい側には講堂がありますが、こちらは遠藤新が設計を
手掛けているそうです。

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ちょうど校庭の桜がきれいな時期なので、花の下でお茶を飲む人も
大勢いました。

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会津若松 七日町通り

福島県会津の七日町は明治期から昭和初期の家並みが続くレトロな
雰囲気の町です。
七日町は会津五街道のうち、越後、米沢の二つの街道が通る要衝でした。
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その中でも大きな店構えなのが、会津一円の海産物の拠点であった渋川問屋
です。渋川善助は226事件に民間人として加わり処刑されたそうです。

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蔵造りの重厚な窓の家や歴史を感じさせる商家が続きます。

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町並みを眺めながら歩いていると、鶴乃江酒造という造り酒屋がありました。
こちらは会津中将というお酒を造っています。

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もうこの時期は酒造りは終わっているそうですが、お願いすると
店の奥の釜場などを気軽に覗かせてくれます。

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会津 鶴ヶ城と荒城の月の歌碑

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戊辰戦争の白虎隊の悲劇で有名な会津若松城は地元では鶴ヶ城と
いわれています。

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文禄2年(1593)には蒲生氏郷がそれまでの黒川城と呼ばれていた城に
本格的な天守閣を築城し、『鶴ヶ城』と改めたそうです。

その後、上杉景勝が入封しましたが、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで
西軍に加担したため、徳川家康により景勝は米沢に移封されました。
その後、何代か城主が変わり寛永20年(1643年)3代徳川家光の庶弟の
保科正之が入封し、以後、明治維新まで会津松平氏(保科氏から改名)の
居城となったそうです。

慶応4年(1868年)幕府軍と政府軍の戦う戊辰戦争で落城し、
明治7年に明治政府により取り壊され、現在の天守閣は昭和40年に
再建されたものだそうです。

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天守閣から見下ろすと入り組んだ城郭の様子が良く分かります。

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遠くには磐梯山、手前には白虎隊が自刃した飯盛山が一望できます。

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本丸の一角に荒城の月の歌碑があります。
仙台の青葉城にも同じ荒城の月の歌碑がありました。>>

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説明を読むと、「荒城の月が鶴ヶ城と青葉城をモチーフに作詞されたことは
土井晩翠氏を招いた音楽祭であきらかになった。時は昭和21年のことである」
とあります。

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荒城の月は悲しい雰囲気の曲ですが、それは東北を代表する2つの
城の悲しさをうたったものだからだったと知りました。


Walkerひで”今日も歌碑めぐり”>>

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