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会津 鶴ヶ城と荒城の月の歌碑

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戊辰戦争の白虎隊の悲劇で有名な会津若松城は地元では鶴ヶ城と
いわれています。

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文禄2年(1593)には蒲生氏郷がそれまでの黒川城と呼ばれていた城に
本格的な天守閣を築城し、『鶴ヶ城』と改めたそうです。

その後、上杉景勝が入封しましたが、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで
西軍に加担したため、徳川家康により景勝は米沢に移封されました。
その後、何代か城主が変わり寛永20年(1643年)3代徳川家光の庶弟の
保科正之が入封し、以後、明治維新まで会津松平氏(保科氏から改名)の
居城となったそうです。

慶応4年(1868年)幕府軍と政府軍の戦う戊辰戦争で落城し、
明治7年に明治政府により取り壊され、現在の天守閣は昭和40年に
再建されたものだそうです。

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天守閣から見下ろすと入り組んだ城郭の様子が良く分かります。

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遠くには磐梯山、手前には白虎隊が自刃した飯盛山が一望できます。

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本丸の一角に荒城の月の歌碑があります。
仙台の青葉城にも同じ荒城の月の歌碑がありました。>>

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説明を読むと、「荒城の月が鶴ヶ城と青葉城をモチーフに作詞されたことは
土井晩翠氏を招いた音楽祭であきらかになった。時は昭和21年のことである」
とあります。

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荒城の月は悲しい雰囲気の曲ですが、それは東北を代表する2つの
城の悲しさをうたったものだからだったと知りました。


Walkerひで”今日も歌碑めぐり”>>

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