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2008年7月

「港の見える丘」歌碑

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横浜の「港の見える丘公園」は、横浜港全体を見渡すことができるので、
今も訪れる人が多いです。

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港の見える丘公園の一角に、「港が見える丘」の歌碑があります。

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「港が見える丘」は昭和22年に発表された曲で、終戦直後の代表的な
ヒット曲だそうです。

作詞・作曲:東 辰三、歌:平野愛子

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歌碑の表面には一番の歌詞の
あなたと2人で来た丘は 港が見える丘 色あせた桜ただ一つ 
淋しく咲いていた

とが刻まれています。
終戦直後の混乱の中で、荒廃した人々の心を打った歌詞です。

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横浜のキリンビール発祥の碑

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「君が代発祥の地」の碑がある横浜山手の妙香寺から、港の見える丘公園
を目指し歩いていると、麒麟園公園という公園がありました。

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公園には巨大な石碑が立っています。この石碑はキリンビールが会社設立
30周年の昭和12年(1937年)に建立した「麒麟麦酒開源記念碑」です。

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1870(明治3)に、この地に日本最初のビール醸造所「スプリングバレーブルワリー」
が設立されたそうです。そのブルワリーを継いだのが現在のキリンビールです。

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ビールが始まったという場所だけに、ビアガーデン発祥も横浜山手であることを
思い出しました。
横浜はボーリングやクリーニングなど、さまざまな発祥の碑があります。 

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横浜妙香寺の「君が代」歌碑と吹奏楽発祥の地

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横浜山手の妙香寺の入り口に、「君が代由緒地」と書かれた石碑が立っています。

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石段を登り、本牧山と書かれた山門をくぐると、思いのほか明るい境内が
広がっています。

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境内の一角に「日本吹奏楽発祥の地」の碑があります。
明治2年(1869年)明治政府は 横浜・妙香寺に滞在していた英国歩兵隊
軍楽隊長だったイギリス人フェントンの元に、薩摩や長州藩の30余人を
派遣して軍楽隊の訓練を依頼しました。
これが 日本の吹奏楽の始まりだそうです。

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そ隣に、「国歌君が代発祥の地」の碑があります。、
のちに陸軍元帥となった薩摩藩士大山巌が、フェントンから 「日本も国歌を
持ってはどうか」 との進言を受け、外交儀礼上の必要から 国歌を制定する
こととなりました。

歌詞は、大山巌が以前から知っていた平安時代に詠まれた和歌を基にした
歌詞に、フェントンが曲をつけ、閲兵式の時に薩摩の軍楽隊が演奏しました。

君が代は、明治3年9月8日に東京の越中島で行われた天覧訓練のときに
初めて演奏されたそうです。
しかし、フェントンが作曲した「君が代」は旋律が日本人に受け入れられず、
その後、明治13年になって宮内省楽師、奥好義が作曲、海軍軍楽隊雇いの
ドイツ人エッケルトが洋楽に編曲して公表されたのが現在の「君が代」だそうです。

妙香寺では、2つの君が代を演奏しているそうです。

京都の嵯峨野には、「君が代」で詠まれる「さざれ石」があり、そちらも
「君が代」発祥の地と言われているそうです。


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六本木檜坂と志賀直哉居住跡

六本木ミッドタウンのタワーの反対側にある檜町公園は、長州毛利氏の麻布屋敷
の跡です。当時の広さは約3万7000坪あり、庭園は清水園と呼ばれていたそうです。
多くの檜が見られたため檜屋敷とも呼ばれていたそうです。

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公園には、近代的な高層ビルに似合わず、自転車が並んでいます。
そんな、檜町公園の前にあるのが檜坂です。

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六本木の表通りとは違い、ゆったりとした雰囲気です。

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休憩するタクシーの姿からも、この周辺では貴重な落ち着いた場所である
ことが分かります。

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檜坂を上り、右に曲がると志賀直哉居住跡がありました。
説明文によると、志賀直哉の父直温が直哉が14歳の明治30年(1897)に家族で
ここに移り住んでそうです。その当時は、1682坪(5550㎡)もある雑木林の趣の
場所だったそうです。

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志賀直哉はここで、14歳から29歳までのここで過ごしており、デビュー作の
「或る朝」や、「網走まで」、「正義派」「大津順吉」などを書いたそうです。

今は社宅の敷地の一角になっていますが、その場所も間近にミッドタウンの
高層ビルが迫っています。

先日歩いた芋洗坂の江戸時代の様子なども思い出し、六本木が時代と共に
その姿を変えていっている様子が伝わってきます。

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浅草寺のライトアップ

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ほおずき市の開かれている今日の浅草寺は、 「四万六千日(しまんろく
せんにち)」と呼ばれる功徳日です。
この日にお参りすると四万六千日(一生)お参りしたのと同じご利益がある
そうで、夜になっても大変な混雑です。

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夜の浅草寺は境内の建物がライトアップされて、日中に訪れた時とは
ずいぶん趣が違います。 

宝蔵門は光を浴びて鮮やかな朱色です。

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五重塔は金色に光り輝き、幻想的な光景です。

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本堂も荘厳に光り輝いています。

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浅草寺のライトアップは日没から23時までされているそうです。

暑い日中を避けて夜に散歩する時には、うれしいスポットです。

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浅草寺ほおずき市

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浅草寺の境内で開かれているほおずき市を訪れました。
ほおずき市の開催日は 「四万六千日(しまんろくせんにち)」と呼ばれる
浅草寺の功徳日で、この日にお参りすると四万六千日(一生)お参りした
のと同じご利益があるそうです。

このため、宵闇の中でも参拝客とほおずき市目当ての人で大変な混雑です。

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250店も立ち並ぶほおずきを売るお店には、まだ青い実のついた鉢植えの
ほおずきを売るお店と、枝つきの赤いほおずきの実を売っているお店の
2つがあります。
鉢物のお値段は2500円、枝つきは1000円が多いです。

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お店には「酸漿」と書かれていますが、これで「ほおずき」と読むようです。

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夜風に吹かれた風鈴の音は涼しげです。

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浅草寺のほおずき市は下町の夏の風物詩といわれているのが
よく分かります。







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赤坂 南部坂

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南部坂は、港区赤坂6丁目と六本木2丁目の間を、南からカーブ
しながら北西へ登る坂道です。
坂の下にはどっしりとした坂名を記した石碑があり、歴史を感じ
させます。

この南部坂は、忠臣蔵「南部坂雪の別れ」の舞台となった坂です。

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浅野家断絶後、浅野内匠頭の夫人瑶泉院は、生家の三次浅野土佐守
の下屋敷(現在の赤坂氷川神社あたり)に住んでいたそうです。

討ち入り前日の雪が降り続く元禄15年(1702)の12月14日、
翌日に討ち入りを控えた大石内蔵助は瑶泉院に暇乞いに行きますが、
吉良方に計画の漏れることをおそれて、ついに討ち入りのことを
告げずに去ります。

瑶泉院が来訪した大石内蔵助を見送った場面が、”嘆く瑶泉院、
苦しむ内蔵助”として講談や歌舞伎で有名な「南部坂 雪の別れ」
の場面です。

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そうした名場面が繰り広げられたにしては、予想外に細くて地味な坂です。

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名前の由来は、江戸時代初期にここに南部家中屋敷があったため
だそうです。険しいので難歩坂とも言われたそうです。

明暦2年(1656年)に浅野家との間で屋敷の取り替えがあり、
南部家は麻布へ移ったため、現在、有栖川宮記念公園南側にも
「南部坂」があるそうです。

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「有楽町で逢いましょう」の歌碑

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有楽町マリオンの前に「有楽町で逢いましょう」の歌碑ができたと聞いて、
出かけてみました。
「有楽町で逢いましょう」(作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田 正) は昭和32年(1957)
にフランク永井が歌いヒットした歌謡曲です。

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「有楽町で逢いましょう」は、関西の百貨店そごうが東京へ進出する際の
キャンペーンとして企画された映画「有楽町で逢いましょう」の主題歌でしたが、
そのそごうも、現在はビッグカメラになっています。

発表から50年が経ったことを記念して、ここに歌碑が設置されたそうです。

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石碑は縦横約1メートルで、フランク永井の出身地の宮城県産の伊達冠石
で造られているそうです。
マリオンの隣の数寄屋橋公園には「銀座の恋の物語」と「君の名は」の歌碑
があります。銀座はさまざまな歌謡曲で歌われていることが分かります。
「銀座の恋の物語」と「君の名は」の歌碑>>

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横浜みなとみらいのウルトラマン

みなとみらいに係留されている帆船、日本丸の脇を歩いていると、突然
ウルトラマンが立っていました。

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9月に封切られる、映画「大決戦 超ウルトラ8兄弟」の主人公が、
横浜開港150周年とからめて、ここのマリタイムミュージアムの学芸員という
設定だそうで、それを記念して9月末までウルトラマン像が設置されたそうです。

「超ウルトラ」という題名が、少し気になります。

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ウルトラマン像は見下ろして話しかけるような雰囲気です。
ウルトラマンは祖師ヶ谷大蔵のウルトラマン商店街でも出会いました。
ウルトラマン商店街>>

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ウルトラマンと「帆船」「高層ビル」の組み合わせは、あまり見かけない光景です。

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更に汽車道を歩いてゆくと、右側の古い桟橋があった一帯が取り壊され
再開発中です。好きな光景だったのでちょっと残念ですが、今度はなにが
できるのでしょうか?
150周年の横浜港は今も少しづつ変わっていっています。

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