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六本木檜坂と志賀直哉居住跡

六本木ミッドタウンのタワーの反対側にある檜町公園は、長州毛利氏の麻布屋敷
の跡です。当時の広さは約3万7000坪あり、庭園は清水園と呼ばれていたそうです。
多くの檜が見られたため檜屋敷とも呼ばれていたそうです。

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公園には、近代的な高層ビルに似合わず、自転車が並んでいます。
そんな、檜町公園の前にあるのが檜坂です。

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六本木の表通りとは違い、ゆったりとした雰囲気です。

P1010160

休憩するタクシーの姿からも、この周辺では貴重な落ち着いた場所である
ことが分かります。

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檜坂を上り、右に曲がると志賀直哉居住跡がありました。
説明文によると、志賀直哉の父直温が直哉が14歳の明治30年(1897)に家族で
ここに移り住んでそうです。その当時は、1682坪(5550㎡)もある雑木林の趣の
場所だったそうです。

P1010158

志賀直哉はここで、14歳から29歳までのここで過ごしており、デビュー作の
「或る朝」や、「網走まで」、「正義派」「大津順吉」などを書いたそうです。

今は社宅の敷地の一角になっていますが、その場所も間近にミッドタウンの
高層ビルが迫っています。

先日歩いた芋洗坂の江戸時代の様子なども思い出し、六本木が時代と共に
その姿を変えていっている様子が伝わってきます。

foot今日も坂めぐり>>

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