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春日の石坂と新坂、樋口一葉終焉の地

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都営三田線の春日駅から菊坂方面に進み興善寺の先を左折すると、
石坂という坂があります。 逆S字に曲がった姿のきれいな坂です。

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坂を上ると西片町ですが、説明板によると、この坂の台地一帯は、
備後福山藩(11万石)の中屋敷と、幕府の御徒組、御先手組の屋敷で
あったそうです。
明治以降、東京大学が近い関係で多くの学者、文人が居住したそうです。
田口卯吉(経済学者・史論家)、坪井正五郎(考古学、人類学者)、木下
杢太郎(詩人・評論家・医者)、上田敏(翻訳者・詩人)、夏目漱石(小説家)、
佐佐木信綱(歌人・国学者)、和辻哲郎(倫理学者)など、
有名人が多く住んでいたので、西片町は学者町といわれたそうです。

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坂上を進み、十字路を左折すると新坂という坂に出会います。
新坂と呼ばれる坂は文京区内だけでも六つあるとのことです。
坂の説明板によると、「
新撰東京名所図会」に、「町内(旧駒込西片町)
より西の方、小石川掃除町に下る坂あり、新坂といふ」とあるそうです。

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坂上にあった旧福山藩主の屋敷に通じる、新しく開かれた坂という
ことで、名付けられたそうです。
また、福山藩ににちなんで、福山坂ともいわれたそうです。


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坂を下りた一帯が、旧丸山福山町で、この地は樋口一葉の終焉の地でも
あり、白山通りに面したビルの一角にそれを表す碑が建てられていました。

説明板によると、
一葉の本名は奈津。なつ、夏子とも称した。
明治5年(1872年)東京府内幸町(現・千代田区内幸町)に生まれ、
明治29年(1896年)この地で、24年の短い生涯を閉じた。
終焉の地ここ丸山福山町に居を移したのは、明治27年(1894年)
5月のことである。
守喜(もりき)という鰻屋の離れで、家は6畳と4畳半1間、庭には
3坪ほどの池があった。
この時期「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」「ゆく雲」など珠玉
の名作を一気に書き上げ、”奇跡の二年”と呼ばれている。
「水の上日記」「水の上」等の日記から丸山福山町での生活を偲ぶこと
ができる。


とのことです。

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