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2009年7月

小田原の「めだかの学校のふるさと」の童謡歌碑

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暑い中、小田原城や白秋童謡館をめぐり駅前に戻り、休憩しながら
観光協会でいただいた地図を見ていると、「すずめの学校」という
場所がありました。

折角なので観光協会で場所を聞き歩いてゆくと、「めだかの学校 
左折60m」と書かれた標識に出会います。

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「めだかの学校」は、駅から徒歩15分くらいの小田原市役所近くに
あります。

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水車が回る風景は、いかにも「めだかの学校」らしい雰囲気です。

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「めだかの学校のふるさと」の碑には、

日本全国で歌い親しまれている童謡「めだかの学校」は、童話作家の
茶木滋さんがこの荻窪用水周辺を舞台に作詞されました。


と記されています。

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水車から流れるせせらぎ沿いにめだかの学校の歌詞の書かれた
歌碑があります。
歌碑は歌詞の1番から3番まで3つに分かれています。

一、めだかの学校は 川の中 そっとのぞいて みてごらん
   そっとのぞいて みてごらん みんなでおゆうぎ しているよ




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二、めだかの学校の めだかたち   だれが生徒か 先生か
   だれが生徒か 先生か   みんなでげんきに あそんでる


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三、 めだかの学校は うれしそう   みずに流れて つーいつい
みずに流れて つーいつい   みんながそろって つーいつい



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せせらぎの脇の荻窪用水は、今も清流が流れています。

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小田原 伝肇寺の童謡「赤い鳥小鳥」の歌碑

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小田原文学館の白秋童謡館にあった童謡「赤い鳥小鳥」の歌碑が
北原白秋が住んでいた小田原伝肇寺にもあるというので、
足を延ばしました。

小田原駅北側の坂道を登ったところにある伝肇寺には、「みみづく寺」
と書かれた大きな石碑が建っています。

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山門の脇には、「北原白秋と伝肇寺ーみみづく寺の由来」の説明書きが
あります。

大正7年、34歳の北原白秋は、小笠原から小田原に転居した。
自然と一体の生活を望んでいて、伝肇寺三十四世の云隆和尚を頼り、
境内に芭蕉好みの南方的な庵室「木菟(みみづく)の家」を建てた。

大正15年、東京に転居するまで、短歌、論文、小説等を多数発表、
華々しい活躍をした。
「あわて床屋」、「かやの木やま」等の童謡を世に送り、有名になった。

白秋の生地は福岡県の柳川市で、当時、それに似た町並みを持つ
城下町小田原は、深く彼の心をとらえていた。

そのためか、当時の文学題材は、その殆どが付近の風物に印象を得ている。
白秋は、昭和17年11月2日に没したが、彼にとって、小田原は、第二の故郷と
言っても過言ではなかろう。



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境内のユーモラスな六俵大黒天像の隣に童謡「赤い鳥小鳥」の歌碑が
あります。

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年月を経て文字がよく読み取れませんが、白秋童謡館と同じ形の石に
書かれた「赤い鳥小鳥」歌詞は、白秋自筆のものだそうです。

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境内にあるみみづく幼稚園には、「北原白秋赤い鳥記念」と記され、
今も子供たちに歌い継がれている白秋の童謡の故郷の幼稚園
らしい光景です。


伝肇寺>>

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小田原文学館

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小田原には、北村透谷や北原白秋、谷崎潤一郎、尾崎一雄など、
かつて多くの文学者が居を構え、文学活動が盛んだったそうです。
それらの文学者の資料を展示しているのが小田原文学館です。

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この建物は、昭和12年に元宮内大臣田中光顕伯爵の別邸として
建てられたものですが、当時の上流階級の間で流行したでスペイン風
様式の建物だそうです。

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あまり見かけない空色の屋根瓦はスペインから輸入したものだそうです。

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3階の展望室は日が差し込みモダンな雰囲気です。





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バルコニーから見下ろすと、洋風庭園の中央には五葉松がある
和洋折衷の珍しい庭園です。

小田原文学館は、小田原にふさわしい明るい建物です。

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白秋童謡館と童謡「赤い鳥小鳥」の碑

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小田原の白秋童謡館を訪れました。



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白秋童謡館の建物は、ちょうど白秋が小田原に在住していたころに
元宮内大臣の田中光顕伯爵が建てた住居の別邸だった建物とのことです。

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日本庭園と大正モダンの雰囲気の和風建築の独特の空間は居心地が
良いです。


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白秋は大正7年から15年までの8年間を小田原に過ごし、多くの童謡を
創作したそうです。

白秋が童謡の創作をはじめたのは、大正7年鈴木三重吉の児童雑誌「赤い鳥」
に童謡の担当者として参加したことがきっかけだそうです。

その後、白秋は、小田原城山の伝肇寺に「木兔の家」を建て住んでいた
そうです。

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白秋童謡館から隣の小田原文学館へ抜ける「からたちの小径」と名付け
られた道の脇に童謡「赤い鳥小鳥」の歌碑があります。

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歌碑の脇の説明板には、

昭和32年(1954)5月26日木兔の家ゆかりの
伝肇寺境内に建立された。
歌碑に刻まれた「赤い鳥小鳥」は白秋の小田原時代に作られた
代表的な童謡である。


と記されています。

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伝肇寺にも同じ歌碑があるようなので、訪れてみることにします。

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川崎大師 風鈴市へ

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川崎大師の風鈴市を訪れました。 夏の川崎大師の名物、風鈴市は
訪れる人で大変な賑わいです。

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川崎大師の風鈴市は、全国47都道府県の風鈴、880種類30,000個が
一堂に勢ぞろいします。

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会場には風に揺られた各地の風鈴がそれぞれに音を響かせています。

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金色に輝く18金製の風鈴は音色も高級そうな気がしてきます。

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懐かしい吊りしのぶの風鈴や

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おなじみの江戸風鈴はさすがに良い音色です。 

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秋田からは御殿まりふうりんです。

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静岡は涼しげな竹千筋ふうりん。

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山口は萩焼ふうりん

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石川は九谷焼ふうりん

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川崎大師オリジナルの厄除けだるま風鈴は人気です。

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限定数で名入れをしてくれます。

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川崎大師の本殿にも奉納された各地の風鈴が揺れ涼しい音色が
境内に響き渡っています。

   

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小田原城 天守閣へ

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小田原城の銅門馬出門土橋から銅門を通り、次は常盤木門です。
常盤木門は、小田原城本丸の正門にあたり、そばにある巨松に
ちなんで名づけられたと言われているそうです。

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常盤木門をくぐると、天守閣のある本丸です。

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小田原城は、元禄16年(1703)の大地震のときに、ほとんどの建物が
倒壊・焼失してしまいましたが、天守閣は宝永3年(1706)に再建され、
明治3年(1870)の廃城まで小田原の象徴でした。

現在の天守閣は、昭和35年(1960)に宝永時代の再建時に作成された
引き図や模型を参考に、鉄筋コンクリートで外観を復元したものだそう
です。

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天守閣からは、天正18年(1590)に豊臣秀吉が小田原北条氏攻めを
行った際の拠点として有名な、石垣山一夜城が望めます。

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相模湾は、真鶴から伊豆半島まで見渡すことができます。

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真夏の小田原は歩いていると汗が止まりませんが、小田原城天守閣
まで来ると風が通り、爽やかです。

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小田原城 銅門へ

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小田原城そばの市民会館近くの大手門跡に建つ鐘楼は、1635(寛永12)年
に箱根口からここに移されたもので、今でも6:00と18:00に時を知らせる
鐘の音を響かせています。


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15世紀中頃に大森氏が築いた小田原城は、、小田原北条氏の居城
になって次第に拡張され、北条氏の関東支配の拠点となりました。

小田原城の登城は、馬出門土橋からが正面になります。
白壁の続く馬出門土橋は、上品な姿の門です。


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馬出門土橋からは緑に包まれたお濠と白い二の丸隅櫓、赤い学橋
がきれいです。

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白壁には、三角や四角の銃眼が開いています。

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次に銅門(あかがねもん)を目指します。銅門は江戸時代の小田原城二の丸
の表門で、明治5年に解体されるまで、江戸時代を通してそびえていました。

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銅門の姿は堂々として、威圧感があります。


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銅門の名前は、大扉などに使われた飾り金具に、銅が用いられて
いることの由来するそうです。

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現在の銅門は、昭和58年(1983)から行われた発掘調査や古写真、
絵図などを参考に、平成9年に復元されたものですが、
銅で覆われた赤銅色のその姿は、往時をしのばせます。














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駐車場の不思議な風景

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浜松町駅近くのコイン駐車場で、地面に巨大なボトルのオブジェが
埋まっている不思議な光景を見かけました。

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日本コカコーラ社のジョージアコーヒーの新製品ジョージアギアの
宣伝のようです。

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「握りやすいドライブ専用コーヒー」ということで、駐車場にオブジェ を
設置したようです。
確かにドライバーは、眠気覚ましや気分転換に缶コーヒをよく飲む
ようですが、そうしたターゲットに向けての新商品の宣伝には、
合いそうな斬新な手法の広告です。

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芝大神宮へ

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浜松町から大門へ向かう途中を右に一本入ると芝大神宮があります。
芝大神宮は、平安時代の寛弘二年(1005年)に創建された都内に現存する
最も古い神社の一つだそうです。



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古くは、飯倉神明宮、芝神明宮と称され、鎌倉時代には源頼朝の篤い信仰の下、
社地を寄贈され、江戸時代には、徳川幕府の篤い保護の下に「関東のお伊勢さま」
として、関東一円の数多くの庶民信仰を集めたそうです。
その当時の賑わいは、広重の錦絵に描かれたそうです。

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芝大神宮の御手水舎は少し変わった形です。説明を読むと

4本柱の外側に2本の柱が棟を支えている(之を棟持ち柱という)
神明造りを形どったもので、全国でも稀に見る珍しいものです。


とのことです。

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本堂の脇に力石がおいてあります。説明板によれば、

芝大神宮の力石は50貫余の切付とともに川口町金杉藤吉の名前がある。
これは明治時代に活躍した有名な力持ち力士、芝金杉川口町の山口藤吉
(慶應3年生)、通称「金杉の藤吉」のことである。
芝大神宮で力持ちの興行が行われた時、金杉の藤吉がこの石を片手で
持ち上げた。


と記されています。

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境内には生姜塚があります。昔はこのあたり一帯は生姜畑で、近隣の農家が
境内や参道に市を立て、盛んに販売していたそうです。

毎年9月16日の前後10日間にわたっておこなわれている芝大神宮の例祭は
その長さから、江戸っ子たちから「だらだら祭り」のあだ名で呼び慕しまれいますが

その期間中、神社の境内に生姜小屋が設けられ、「御前生姜」と呼ばれる葉先に
細工をほどこした葉生姜が来訪者に授与しているところから、「生姜祭り」とも
言われているそうです。

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境内には、貯金塚(碑文は、武者小路実篤筆)もあります。

近隣地に現在のりそな銀行(旧あさひ銀行・旧協和銀行)につながる
不動貯金銀行を設立し、貯金王と称された牧野元次郎(1874年-1942年)
の偉業を称え、境内に貯金塚が建立されたそうです。

以後、毎年、貯金祭(10月17日)が行われているそうです。

都心のビルに囲まれた神社ですが、様々な歴史が凝縮しています。

錦絵で見る芝大神宮>>

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最初の芝区役所跡

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浜松町から大門を通り、増上寺に行く途中にある安養寺というお寺の
敷地に寺院や神社とは趣の違う建物があります。

説明書きを読むと、最初の芝区役所跡とのことです。

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明治初期の地方制度は、改正がくり返され、東京の行政区域はなかなか
定まらなかった。
そうした中で、明治11年(1878)7月22日、わが国地方自治制度のもとを作った
郡区町村編成法が発布された。

これにより、同年11月2日、東京には15区6郡がおかれ、芝区が誕生した。

その時、この安養院に最初の芝区役所が設けられ、11月4日に開庁し、
初代区長に相原安次郎が任命された。
当時の芝区は桜田・三田・白金・高輪の地域で、戸数14,757戸、人口58,861人
であった。

芝区役所は、その後愛宕町に移り、さらに大正15年(1926)に現在の港区役所
の位置(芝公園1-5-25)に移った。

かつての芝区の範囲とは、現在の港区の範囲のうち、赤坂・青山・麻布・六本木
を除くすべての地域のことである。
なお、芝・麻布・赤坂区は、昭和22年3月15日、統合されて港区となった。

 昭和49年1月  東京都港区教育委員会

と記されています。
なお、最初の麻布区役所は麻布十番商店街の十番温泉先六本木寄りにある
龍澤寺にあり、赤坂区役所は高橋是清翁記念公園にあったそうです。

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本郷も かねやすまでは 江戸の内

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本郷3丁目の交差点に「かねやす」という洋品店があります。


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このお店は、江戸時代の川柳「本郷も かねやすまでは 江戸の内」
と言われた「かねやす」です。
現在もお店の脇には、その川柳が掲げられています。

口中医師(歯医者)、兼康祐悦(かねやすゆうえつ)が乳香散(にゅうこうさん)
という歯磨粉を売り始めたのが、この店の最初といわれます。
乳香散は大変評判で、お客が多数集まりお祭りのように賑わったそうです。

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享保15年(1730)、このあたりは大火があり、防災上から大岡越前守は
本郷三丁目から江戸にかけての家は土蔵造りの塗屋にすることを奨励し、
屋根は瓦で葺くことを許しました。

k江戸の街並みは本郷まで瓦葺が続き、ここから先の中仙道は板や茅葺
の家が続いたそうです。
その境目の大きな土蔵のある「かねやす」は目立っていたことから
川柳のネタにされたそうです。

街角の何気ないお店に、意外な江戸の歴史を見ました。




 

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東京大学の学食

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赤門と並んで東京大学の象徴の安田講堂は、安田講堂事件を
越えてきた歴史を感じさせる落ち着いた佇まいです。

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現在その地下には、巨大学生食堂があります。

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メニューは豊富で、ボリュームたっぷりの定食が500円前後と格安です。

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食堂の壁に「七大戦メニュー」というのが貼ってあります。
「七大戦」とは、全国七大学総合体育大会の略称で、日本を代表する
7つの国立大学が合同で開催している体育大会だそうです。
その各大学の生協食堂での人気メニューが「七大戦メニュー」だそうです。
それぞれの大学自慢のメニューは、以下の通りです。

北海道大学=牛とろ丼、
東北大学=豚バラ揚げ煮丼、
東京大学=赤門ラーメン、
名古屋大学、味噌カツ丼、
京都大学、VICTORYかつ、
大阪大学、天津麻婆丼
九州大学・ジロー風スパゲッティ

滅多に訪れる機会のない学生食堂ですが、各大学の食堂が協力して
イベントメニューの取り組みをしているのは知りませんでした。

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さらに、壁に貼ってあるポスターを見ると、東大生協の東大オリジナルグッズ
の人気ランキングは、

 第1位 東大ゴーフル箱 2枚組12袋入り 1050円
 第2位 東大チョコレート 18個入り 1900円
 第3位 東京大学饅頭 5個入り 1050円
 第4位 赤門ラーメンあんかけスープ4個入り 1600円
 第5位 東京大学うま味煎餅 2枚入り 500円

だそうです。

建物を見ていると権威の象徴のようなイメージの東京大学ですが、
メニューやオリジナルグッズをみると親しみを感じます。

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東京大学ヘ

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本郷の東京大学を訪れました。通りに面して東京大学の異名とも
なっている赤門がどっしりと構えています。

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赤門は、旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門で、1827年に第13代藩主
前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の娘、溶姫を迎える際に造られたそうです。
切妻造の薬医門で、左右に唐破風造の番所を置いています。
 (国の重要文化財、旧国宝)

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学内は、ゆったりとした敷地に重厚なゴシック様式の建物が目につきます。

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赤門と並んで東京大学の象徴の安田講堂です。
安田講堂は、安田財閥の初代安田善次郎の寄付によって建てられたため、
安田講堂と呼ばれているそうです。
学生運動が盛んだった1968年には東大闘争の舞台となったことでも知られて
います。
安田講堂は、ゴシック及び表現主義の影響が色濃い垂直性の強いデザインと、
赤茶色のタイル貼りの外壁が特徴だそうです。

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東京大学といえば、三四郎池も有名です。三四郎池の周辺は、育徳園
といわれる、加賀藩前田家上屋敷の大名庭園であったそうです。

夏目漱石の名作『三四郎』は、ここを舞台としたため、誰言うとなく
「三四郎池」と呼ばれるようになったそうです。

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都会の真ん中のゆったりとした敷地と、歴史的な建物を残し、池まで
残しておけるのは、国立大学だからこその良さだと感じました。   

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見送り坂、見返り坂と本郷薬師

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菊坂を登り切ると本郷通りです。
そこには、「別れの橋跡」「見送り坂」「見返り坂」と書かれた道標が立っています。

説明によると、

むかし太田道灌の領地の境目なりしといひ伝ふ。その頃追放の者など
此処より放せしと・・・・・・
いずれのころにかありし、此辺にて大きなる石を堀出せり、是なんかの別れの
橋なりしといひ伝へり・・・・・・
太田道灌(1432~86)の頃在任など此所よりおひはなせしかは、ここよりおのが
ままに別るるの橋といへる儀なりや」と『改撰江戸志』にある。

 この前方の本郷通りはややへんこんでいる。むかし、加賀屋敷(現東大構内)
から小川が流れ、菊坂の谷にそそいでいた、

『新撰東京名所図会』(明治40年刊)には、「勧業場本郷館(注・現文京センター)
の辺は、地層やや低く、弓形にへこみを印す、其くぼめる所、一条の小渠、
上に橋を架し、別れの橋といひきとぞ」とある。

 江戸を追放された者が、この別れの橋で放たれ、南側の坂(本郷3丁目寄)で、
親類縁者が涙で見送ったから見送り坂。追放された人がふりかえりながら去った
から見返り坂といわれた。

 今雑踏の本郷通りに立って500年の歴史の重みを感じる。


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「見返り坂」は東京大学学士会館より南側、「見送り坂」はその学士会館から
赤門までを言うそうですが、僅かな傾斜なので坂なのかどうか戸惑います。


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写真は、本郷3丁目方面


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本郷3丁目から別れの橋跡方面

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本郷3丁目の交差点近くには本郷薬師の看板を掲げた門があります。

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寛文10年(1670)真光寺の境内に建立された本郷薬師は、神楽坂善国寺の
毘沙門天縁日と並んで有名な縁日で植木、骨董、雑貨をはじめ飲食店も
軒を並べ大変な賑わいを見せたそうですが、戦災で真光寺は世田谷に移転し、
昭和53年3月再建された御堂だけが残っているそうです。

このあたりは、江戸時代の人々の暮らしを感じることができる場所です。

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胸突き坂と梨木坂

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菊坂下の交差点から菊坂通りを進むと、すぐ左手にあるのが胸突き坂
という坂です。
坂の下あたりは緩やかな坂ですが、途中からは名前どおりの急な坂に
なります。

場所:文京区本郷5丁目9番/10番と33番の間
(標識は探しても見当たりません)

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坂の頂上に旅館鳳明館本館があります。
鳳明館本館は、明治30年代に建てられた下宿屋を先々代が1936年
(昭和11年)に買い取り、旅館に模様替えされたそうです。

登録有形文化財に指定されている歴史を感じさせる佇まいの旅館です。

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(坂下)
再び菊坂通りを本郷方面に進むと、左側の下町情緒を感じさせ
る建物の間に梨木坂という坂があります。

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(坂上)

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「梨木坂は菊坂より丸山通りなり。むかし大木の梨ありし故坂の名とす。」と
『御府内備考』にある。
また、『南向茶話』には、「戸田茂睡(江戸前期の歌学者、『紫の一本』の著者、
1629~1706)という人が、この坂のあたりに住んでおり、梨本と称した」とある。

 いっぽう、江戸時代のおわり頃、この周辺は、菊の栽培が盛んで、
菊畑がひろがっていたが、この坂のあたりから菊畑がなくなるので、
「菊なし坂」といったという説もある。

 戦前まで、この近くに古いたたずまいの学生下宿が数多くあった。

別名:梨坂・奈須坂
所在地: 文京区本郷5丁目6番と7番の間

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菊坂

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春日駅近くの菊坂下の交差点から本郷通りまで続く緩やかな坂が、菊坂です。
途中には胸突き坂や梨木坂なども連なっています。

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説明版には、
「此辺一円に菊畑有之、菊花を作り候者多居住仕候に付、同所の坂を
菊坂と唱、坂上の方菊坂台町、坂下の方菊坂町と唱候由」(『御府内備考』)
とあることから、坂名の由来は明確である。

 今は、本郷通りの文京センターの西横から、旧田町、西片1丁目の台地
の下までの長い坂を菊坂といっている。
 また、その坂名から樋口一葉が思い出される。一葉が父の死後、
母と妹の三人家族の戸主として、菊坂下通りに移り住んだのは、
明治23年(1890)であった。今も一葉が使った堀抜き井戸が残っている。

寝覚めせし よはの枕に 音たてて なみたもよほす 初時雨かな
   樋口夏子(一葉)

と記されています。





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菊坂の中腹には、樋口一葉がたびたび通った旧伊勢屋質店の土蔵
(国登録文化財)が現在も残っています。
また菊坂と平行する小道(菊坂下道)から路地を少し入ったところには
一葉の旧居跡があります。

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横浜中華街の凝った店構え 

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横浜中華街は、いつ訪れても賑わっています。

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通りには、肉まんやフカヒレスープ、タピオカドリンクなど、中華街ならでは
のものが売られているので、歩いていると目移りしてしまいます。

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賑やかな店先からお店の建物に目を移すと、凝った造りの窓や看板など、
それぞれに個性的な造作が施されていることに気がつきます。

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永安楼は、凝った造りの白い欄干が特徴です。


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永華楼は、赤壁と反り返った軒の派手な造りです。


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中国式の塔を模した造りのお店もあります。

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東華楼は、中華料理店としてはオーソドックスな店構えですが、
落ち着いた色合いが特徴です。

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そんな中華街のなかで、安楽園の建物は1903年創業だけに風格があります。

いつも、扉が閉まっているうえメニューや料理のディスプレイもなく、
店頭には「炒飯、焼そば出来ます」と書かれた看板が出ているだけなので、
敷居の高い雰囲気ですが、実際は五目そばなどが人気の気楽なお店です。

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横浜中華街は、料理だけではなく建物も楽しめる街です。




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