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2009年9月

湯島の岩崎邸庭園

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東京メトロ千代田線湯島駅近くに、三菱財閥の創始者である岩崎家の邸宅
があります。かつては広大な敷地に何棟もの建物が散在したそうですが、
現存するのは洋館・撞球室・和館の3棟です。

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1896(明治29)年、三菱財閥の三代目である岩崎久彌が建築家
ジョサイア・コンドルに設計させた木造の洋館は、凝った造りが印象的です。 

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重厚な雰囲気の階段には、繊細な細工が施されています。

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階段の窓にも細かく丁寧な細工が施されています。

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外から想像した以上に室内は明るい雰囲気です。

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広々とした2階のバルコニーは解放感があり、庭園全体が見渡せます。

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1階のサンルームは大きなガラス窓が広がり、 明るく居心地が良いです。

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洋館と廊下でつながって、書院造を基調とした和館があります。

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庭園までは、見たことがない巨大な踏み石が続きます。

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庭園からみる洋館も凝った作りですが、正面から見たときよりやさしい雰囲気です。

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敷地は往時よりはだいぶ狭くなったそうですが、岩崎邸庭園は静かな
落ち着いた空間です。

   

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湯島の無縁坂と講安寺

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上野池の端の旧岩崎邸庭園の裏手にある坂が無縁坂です。

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岩崎邸庭園の赤レンガ塀が続く静かな坂です。

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坂名の由来を記した説明板によれば、

御府内備考」に、「称仰院前通りより本郷筋へ往来の坂にて、往古 
坂上に無縁寺有之候に付 右様相唱候旨申伝・・・」とある。

団子坂(汐見坂とも)に住んだ、森鴎外の作品「雁」の主人公岡田青年
の散歩道ということで、多くの人びとに親しまれる坂となった。

その「雁」に次のような一節がある。
「岡田の日々の散歩は大抵道筋が極まっていた。寂しい無縁坂を降りて、
藍染川のお歯黒のような水の流れ込む不忍の池の北側を廻って、
上野の山をぶらつく。・・・」

坂の南側は江戸時代四天王の一人・康政を祖とする榊原式部大輔の
中屋敷であった。坂を下ると不忍の池である。

 不忍の 池の面にふる春雨に  湯島の台は 今日も見えぬかも

                                岡 麓

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この無縁坂は昭和70年代にヒットした、さだまさし(グレープ)の歌
「無縁坂」の舞台となった坂だそうです。


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坂の中腹には、講安寺があります。 この講安寺は、将軍徳川家斉の
息女溶姫の生母であるお美代の方が明治5年77歳で亡くなるまでに
住んでいたそうです。

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講安寺の本堂は、外壁が漆喰で何度も塗り込められた土蔵造りが特徴です。
「火事に悩んだ江戸の人たちの防火対策の知恵」とのことです。

何気ない坂にさまざまな歴史があることを知りました。

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東大裏の暗闇坂

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弥生坂の弥生式土器発掘ゆかりの地の碑のある角を曲がると、
東京大学の赤門とは反対側の裏門にあたる弥生門があります。

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重厚な作りと凝った細工が裏門とは感じさせません。
 
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弥生美術館・竹久夢二美術館がある通りを東大付属病院あたりまで
進むと、この時期には彼岸花が咲く静かな雰囲気です。

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なだらかでほとんど坂とは感じなませんが、ここが暗闇坂です。

坂名の由来を記した説明板によれば、

江戸時代は、加賀屋敷北裏側と片側寺町の間の坂で、樹木の生い茂った
薄暗い寂しい坂であったのであろう。

江戸の庶民は、単純明快にこのような坂を暗闇坂と名づけた。
23区内で同名の坂は12か所ほどある。区内では、白山5丁目の
京華女子高校の裏側にもある。

この坂の東側鹿野氏邸(弥生2-4-1)の塀に、挿絵画家、高畠華宵の記念碑
がはめこまれている。華宵は、晩年鹿野氏の行為でこの邸内で療養中、
昭和41年7月に亡くなった。
大正から昭和にかけて、優艶で可憐な画風で若い人たちの大きな共感を呼んだ。


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更に進むと境稲荷神社の隣に今では懐かしい井戸があります。
この井戸は弁慶鏡ヶ井戸というそうです。

説明を読むと

源義経とその従者が奥州へ向かう途中に弁慶が見つけ、一行ののどを
うるおしたと伝え、『江戸志』など江戸時代の史料にも名水として記録がある。
一時埋め戻したが、昭和 15年に再び掘り出し、とくに昭和 20年の東京大空襲
などでは多くの被災者を飢渇から救った。
井戸脇の石碑は掘り出した際の記念碑で、造立者の中には当地に住んでいた
画伯横山大観の名も見える。

 


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道を左折すると、不忍通りに面して日本画家横山大観の住居があります。

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現在は、横山大観記念館になっている住居はビルに囲まれた中で
貴重な板塀に囲まれた日本家屋です。

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門をくぐると、表の喧騒とはかけ離れた落ち着いた雰囲気です。


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弥生坂(鉄砲坂)と「弥生式土器発掘ゆかりの地」の碑

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東京メトロ千代田線の根津駅のある不忍通りから本郷通りへと続く坂が
弥生坂です。

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坂名の由来を記した説明板によれば、

かつてこのあたり一帯は「向ヶ岡弥生町」といわれていた。
元和年間(1615~24)の頃から、御三家水戸藩の屋敷(現東大農学部、
地震研究所)であった。隣接して、小笠原信濃守の屋敷があり、
南隣は加賀藩前田家の屋敷(現東大)であった。

明治2年(1869)これらの地は明治政府に収公されて大学用地になった。
明治5年(1872)には、この周辺に町家が開かれ、向ヶ岡弥生町と名づけられた。

その頃、新しい坂道がつけられ、町の名をとって弥生坂と呼ばれた。
明治の新坂で、また坂下に幕府鉄砲組の射撃場があったので鉄砲坂ともいわれた。

弥生とは、水戸徳川斉昭候が、文政11年(1828)3月(弥生)にこのあたりの
景色を詠んだ歌碑を、屋敷内に建てたからという。

  名にしおふ春に向ふが岡なれば 世にたぐひなき花の影かな
                                      徳川 斉昭



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幅が太くまっすぐな坂なので坂上から坂下まで見渡せます。
弥生坂は、どっしりと存在感のある坂です。

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坂上には、弥生式土器発掘ゆかりの地の碑があります。


文京区のHPによれば、

明治17年、東京大学の有坂鉊蔵、坪井正五郎、白井光太郎の3人が、
根津谷に面した貝塚から赤焼きのつぼを発見した。

これが後に縄文式土器と異なるものと認められ、発見地の地名を取り
弥生式土器と名付けられた。
しかし、最初の発見地についてははっきりせず、近年まで3説があったが、
昭和49年の東大浅野キャンパス内の発掘により、
この地(従来の3説の地とは異なる)が最有力とされている。



弥生時代の存在が、この弥生坂のあたりで確認されたとは感慨深いです。

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異人坂とサトウハチロー居住跡

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東京大学農学部裏の文京区根津1丁目根津小学校沿いにあるのが、異人坂です。

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坂名を記した説明版によれば、

坂上の地に、明治時代東京大学のお雇い外国人教師の官舎があった。
ここに住む外国人は、この坂を通って、不忍池や上野公園を散策した。
当時は外国人が珍しかったことも手伝って、誰いうとなく、
外国人が多く上り下りする坂なので、異人坂と呼ぶようになった。

外国人の中には、有名なベルツ(ドイツ人)がいた。明治九年(1876)ベルツは
東京医学校の教師として来日し、日本の医学の発展に貢献した。
ベルツは不忍池を愛し、日本の自然を愛した。

異人坂を下りきった東側に、明治25年(1892)高林レンズ工場が建てられた。
今の2丁目13番地付近の地である。
経営者は朝倉松五郎で、日本のレンズ工業の生みの親である。





まっすぐで伸びやかな姿は坂としてきれいな形です。
S字の曲線がきれいな根津神社前の新坂(S坂)とは違った坂の姿です。

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坂を上った所には、「昭和6年2月工事竣工 朝野侯爵家建設」と書かれています。

異人坂の場所>>



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異人坂を上り左折すると、マンションの一角にサトウハチロー居住跡の碑があります。



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サトウハチロー旧居跡
本名は佐藤八郎(1903〜1973)詩人・童謡作家。
小説家佐藤紅緑[こうろく]の長男として、明治 36年(1903)市谷薬王寺前町に生まれた。大正 5年(1916)小日向台町小学校を卒業し、早稲田中学に入学した。
この頃から詩を書き始め、16歳のとき西条八十に師事し、詩を学んだ。
大正10年(1921)『金の船』や『少年倶楽部』などに童謡を発表し、大正 15年(1926)に
詩集『爪色の雨』を発刊、詩人として歩み始めた。
 昭和 12年(1937)上野桜木町から向ヶ丘弥生町に移った。
週一回の、詩の勉強会"木曜会"が開かれ『木曜手帳』が刊行されたのも、
この地である。
 昭和52年(1977)自宅の一階を改装して記念館が開館され、原稿や愛用品が展示
されたが、記念館は平成 8年(1996)岩手県北上市に移った。
 庭の一隅に、童謡『ちいさい秋みつけた』に歌われた"はぜの木"があったが、
平成 13年(2001)10月礫川[れいせん]公園[春日 1-15]内に移植された。

 平成 15年 3月     文京区教育委員会

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根津のS坂(新坂・権現坂)

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例大祭で賑わう根津神社は、重要文化財の楼門の前まで出店が
並び、祭りの雰囲気を盛り上げています。

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根津神社の表参道を出て右手にある坂が、新坂とも権現坂、またはS坂
とも言われている坂です。

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坂名の説明板によれば、

本郷通りから根津谷への便を考えて造られた新しい坂のため、新坂と呼んだ。
根津神社(根津権現)の前に下る坂なので権現坂とも言われる。
森鴎外の小説”青年”(明治42年作)に

「純一は権現前の坂のほうに向かい歩き出した。・・・右は高等学校(旧制第一
高等学校)の外囲、左はできたばかりの会堂(教会堂 今もある)で・・・・
坂の上に出た、地図ではしれないが、割合に幅の広い此坂はSの字をぞんざい
に書いたように屈曲している。」とある。

旧制一高生がこれを読み、好んでS坂と呼んだ。

近くの団子坂の観潮楼に住んだ鴎外の命名である。


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確かにS字にカーブした味わいのある坂です。


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坂の上には、懐かしい年代物の民家があり、人目を引いています。

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このあたりに少し前まで、内田百閒 の下宿であった建物があったそうですが
現在は最近立て替えてしまったそうです。

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根津の幽霊坂(お化け階段)

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根津神社の表参道を出てほぼ正面の脇道を入ると階段の坂があります。
この階段は、幽霊坂やお化け階段といわれています。

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昔、藩邸や寺社だらけの坂道は昼なお暗く、幽霊坂と名付けられました。

「上がってみると下から40段、下ってみると上から39段」と段数が合わない
不思議なことがあるそうです。(今回は数えてみませんでした)

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今では住宅に挟まれ、最近拡幅された様子で名前ほどは怖そうではありません。




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しかし坂を上ると、塀や壁面を赤と緑に塗り分け、窓をすべて覆い尽くした
風変りな住宅があります。


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さらにその先には蔦に覆われた住宅があります。
坂そのものより周囲の住宅に幽霊坂に相応しい雰囲気があります。

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解剖坂と夏目漱石居住地跡

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団子坂から藪下通りを進み、根津神社に突き当たる手前の右側に
石段の坂があります。

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坂名を記した説明板はありませんが、解剖坂という名前の坂です。

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名前の由来は、日本医科大学と、同大学図書館の間にあることから
いつの間にか解剖坂と名付けられたそうです。
白衣の医師や医学生の姿を見かけると、坂名のもつ雰囲気が伝わって
きます。

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解剖坂を登り切り右折すると、日本医大同窓会館(橘桜会館)の前に
夏目漱石居住地跡の碑があります。

当時, 東京帝大英文科, 第一高等学校講師として教職にあった夏目漱石は、
この地で初めて筆をとり、『我輩は猫である』を著したそうです。

この地で, 『倫敦塔』『坊ちゃん』『草枕』などの作品を次々に発表したそうで、
まさに、漱石文学の発祥の地です。

ここには、漱石が住む13年程前の明治23年10月から1年余り森鴎外が住み、
その後、鴎外はここから団子坂上の観潮楼へ移っていったそうです。

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漱石が住むこの場所は『我輩は猫である』の舞台として, “猫の家”と
呼ばれ親しまれたそうですが、塀の上には可愛らしい猫の像があります。
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今にも動き出しそうな猫の像はじっとこちらを見つめているようです。

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団子坂と森鴎外の観潮楼

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東京メトロ千代田線の千駄木駅を地上にでると、団子坂があります。

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坂名の説明板によれば、

潮見坂、千駄木坂、七面坂の別名がある。
「千駄木坂は千駄木御林跡の側、千駄木町にあり、里俗団子坂と
唱ふ云々」(御府内備考)

「団子坂」の由来は、坂近く団子屋があったともいい、悪路のため
転ぶと団子のようになるからともいわれている。

また「御府内備考」に七面堂が坂下にあるとの記事があり、
ここから「七面坂」の名が生まれた。

「潮見坂」は坂上から東京湾の入江が望見できたためと伝えられている。

幕末から明治末にかけて菊人形の小屋が並び、明治40年頃が最盛期であった。
また、この坂上には森鴎外、夏目漱石、高村光太郎が居住していた。


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森鴎外の「青年」や、夏目漱石の「三四郎」には団子坂が出てきます。
江戸川乱歩作の明智小五郎が最初に登場した「D坂の殺人事件」のD坂
とは、この団子坂のことだそうです。

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団子坂上まで登り、左折すると観潮楼跡があります。

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観潮楼は、森鴎外(本名・森林太郎)が住んでいた家です。

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説明板によれば

森鴎外(1862〜1922)は明治 25年(1892)1月から大正 11年 7月 9日
60歳で歿するまで、この地に住み、多くの名作を残した。

鴎外は邸宅に二階建で十二畳の書斎を増築し、遙か遠くに品川沖が
眺められたので観潮楼と命名した。

ここを文学活動の拠点とした鴎外は『青年』『雁』や、『阿部一族』『高瀬舟』
などの歴史小説、さらに『渋江抽斎』に至る独自の公称史伝作品を発表した。
また、明治 40年(1907)から催された観潮楼歌会には、与謝野寛(鉄幹)、
石川啄木など多くの詩人や歌人が参会して、鴎外を中心とした文学者の集まり
が形成された。

観潮楼は昭和 12年(1937)の火災および昭和 20年(1945)の戦災により焼失したが、
図書館の南側にある旧表門の礎石、敷石や庭園内の老銀杏、庭石(幸田露伴、
斎藤緑雨ゆかりの三人冗語の石)などに、当時の面影が偲ばれる。

日本文学史上、意義深いこの地に、昭和 37年(1962)鴎外記念室を持つ鴎外
記念図書館を開設。


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文京区のこの場所で書斎から東京湾が望めたとは、今では想像もできません。

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観潮楼の前の道は、藪下通りと名付けられています。

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根津神社の裏手まで続くこの通りは、鴎外の家を訪れるため
かつて多くの文人たちが歩いた道だそうです。

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根津神社と根津裏門坂

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根津神社を訪れました。つつじの時期には大変な人出ですが、今日はちょうど
祭礼の時期だったので、楼門前には出店が軒を並べています。

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楼門の脇には風格のある神楽殿があります。

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根津神社の豪奢な本殿は、宝永2年に5大将軍綱吉が兄綱重の子綱豊
(六代家宣)を養嗣子に定めたのを祝って氏神であった根津神社に造営
したものだそうです。

今も現存している権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・透塀・楼門は
その豪奢から天下普請と言われたそうです。

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漆塗りと豪華な金具が派手な神輿と2対の獅子頭は正徳3年に6代将軍
徳川家宣が奉納したものだそうです。

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根津神社といえば、境内にある乙女神社まで回廊のような連なる
朱色の鳥居が印象的で、ついくぐってみたくなってしまいます。

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神社の裏手の北参道を出ると、根津裏門坂です。

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坂名の説明板によれば、

根津神社の裏門前を、根津の谷から本郷通りに上る坂道である。

根津神社(根津権現)の現在の社殿は、宝永3年(1706)五代将軍綱吉
によって、世継ぎの綱豊(六代家宣)の産土神として創建された。

形式は権現造、規模も大きく華麗で、国の重要文化財である。

坂上の日本医科大学の西横を曲がった同大学同窓会館の地に、夏目漱石
の住んだ家(“猫の家”)があった。

『我輩は猫である』を書き、一躍文壇に出た記念すべき所である。
(家は現在「明治村」に移築)



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坂上からの風景。左手が日本医科大学病院、左手の樹の茂っている
あたりが根津神社。

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変わりつつある六本木の風景

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六本木の待ち合わせ場所として有名な六本木交差点のアマンドが
取り壊されているのを見かけました。

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ビルの建て替えで、アマンドは付近の場所で営業しているようです。
地下にあったシシリアは、赤坂溜池方面に下った場所に店を構えています。

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交差点からほど近い六本木スクエアビルも取り壊されてしまっています。

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かつてスクエアビルには有名なディスコが集まっていたので、明け方まで
多くの若者が出入していましたが、きれいさっぱりなくなってしまいました。

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溜池方面に下ると、巨大な建設現場が広がっています。

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この辺りは何があったか思い出せませんが、小さなビルが群集し
その後、地上げで虫食い状態になっていたような気がしますが、
現在は、六本木ヒルズ、ミッドタウンに続く再開発がおこなわれています。

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六本木の2つの名所が取り壊され、新たな六本木のシンボルが建てられ
ている姿は時代の移り変わりを感じます。

 



 

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芝大神宮のだらだら祭り

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最近、芝大門付近を訪れることが多いですが、今日は芝大神宮(芝神明宮)で
「だらだら祭り」とも言われる、例大祭が行われていました。

例大祭の期間は9月11日から21日までと確かに期間が長いですが、「だらだら祭り」
とは、いかにも江戸っ子の気の短さを感じさせます。

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この辺りは、江戸時代には生姜が多く取れたことから、芝大神宮は
生姜と結びつきが強く、境内には生姜塚があります。

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本殿脇には奉納された生姜が飾られた姿は芝大神宮ならではの光景です。

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だらだら祭りは生姜祭りとも言われ、今も境内では生姜が売られています。

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社務所ではおいしそうな生姜糖や生姜飴などが売られています。

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芝神明宮といえば、「め組の喧嘩」でも知られています。 

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本殿脇の「め組の半鐘」を叩いてみると、高く響き渡る音に思わず驚きます。
 

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自衛隊朝霞の広報センター

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陸上自衛隊朝霞駐屯地にある広報センターを訪れました。

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広報センターには「りっくんランド」という可愛らしい愛称がつけられています。

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玄関脇には軽装甲機動車(ライトアーマー)が置かれています。

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広報センター内の吹き抜けのホールの迫力ある光景には驚きます。

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サマワに行った時の宿営地を再現したコーナーには90式戦車が飾られています。

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その脇には戦車からの光景が流れています。

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土嚢の積まれた宿営地では、迷彩服が子供用から大人用まで取り揃えれれ、
試着をすることができます。

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巨大な落下傘の前に置かれたは対戦車ヘリコプターAH - 1S(コブラ)は、
ヘリのイメージとは違い、機体の幅が狭くカワハギのような面構えです。

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フライトシュミレーターでは、そのAH - 1S(コブラ)を体験できますが
以前に乗った遊覧ヘリとは全く違う敏捷な動きに驚きます。


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中庭には、いかつい姿のさまざまな装備車両が並んでいます。
名前をみるとそれぞれの役割がよく分かります。

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74式自走105mmりゅう弾砲

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74式戦車

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96式装輪装甲車

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89式装甲戦闘車
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87式自走高射機関砲

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94式水際地雷敷設装置

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広報センターは、装備以外にも災害出動や訓練の様子など、自衛隊の
さまざまな活動が紹介されているので、時間を忘れてしまいます。

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中華街の歴史を感じさせる安楽園 

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華やかな造作のお店が軒を並べる横浜中華街のなかで、独特の雰囲気で
ひっそりとたたずむ安楽園を訪れました。

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店先にはメニューや料理サンプルなどは一切なく、小さく「麺類炒飯もございます」
と書かれた小さな札が掛けられているだけです。

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店内に入ると、博物館のような匂いと時代を逆戻りしたような雰囲気に
驚きますが、予想外に愛想の良いお婆さんたちに出迎えられ安心します。

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個室の作りも独特です。

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段違いの飾り棚とステンドグラスの入った窓のある部屋は、窓の外の
中華街の喧騒がうそのようです。

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料理を待つ間、店内を見渡すと、人影がなく不安になってきます。

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中華街で中庭のあるお店は珍しいですが、トイレが中庭の先に
あるのも現在ではほとんど見かけません。(写真の左側の白いドア)

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料理が出てくるまでは時間がかかりますが、頼んだ春巻には人参で作った
座る子供の像が添えられています。こうした細かい細工が昔の中華料理
のこだわりなのでしょうか。

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入るのに敷居が高く、独特の雰囲気の安楽園ですが、味はおいしくて
1品1品の量も多く、懐かしい中華料理を楽しむことができます。


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多摩川を散歩

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最近は少し涼しくなったので、朝から多摩川の和泉多摩川から京王多摩川まで
散歩です。

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久しぶりに歩く多摩川は広々とした風景とさわやかな空気で気持が良いです。

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五線譜に並ぶ音符のような、電線に並ぶ鳥たちの姿も微笑ましくて
ますます気分が楽しくなってきてしまいます。

これからは、いよいよウォーキングの時期です。

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