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異人坂とサトウハチロー居住跡

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東京大学農学部裏の文京区根津1丁目根津小学校沿いにあるのが、異人坂です。

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坂名を記した説明版によれば、

坂上の地に、明治時代東京大学のお雇い外国人教師の官舎があった。
ここに住む外国人は、この坂を通って、不忍池や上野公園を散策した。
当時は外国人が珍しかったことも手伝って、誰いうとなく、
外国人が多く上り下りする坂なので、異人坂と呼ぶようになった。

外国人の中には、有名なベルツ(ドイツ人)がいた。明治九年(1876)ベルツは
東京医学校の教師として来日し、日本の医学の発展に貢献した。
ベルツは不忍池を愛し、日本の自然を愛した。

異人坂を下りきった東側に、明治25年(1892)高林レンズ工場が建てられた。
今の2丁目13番地付近の地である。
経営者は朝倉松五郎で、日本のレンズ工業の生みの親である。





まっすぐで伸びやかな姿は坂としてきれいな形です。
S字の曲線がきれいな根津神社前の新坂(S坂)とは違った坂の姿です。

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坂を上った所には、「昭和6年2月工事竣工 朝野侯爵家建設」と書かれています。

異人坂の場所>>



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異人坂を上り左折すると、マンションの一角にサトウハチロー居住跡の碑があります。



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サトウハチロー旧居跡
本名は佐藤八郎(1903〜1973)詩人・童謡作家。
小説家佐藤紅緑[こうろく]の長男として、明治 36年(1903)市谷薬王寺前町に生まれた。大正 5年(1916)小日向台町小学校を卒業し、早稲田中学に入学した。
この頃から詩を書き始め、16歳のとき西条八十に師事し、詩を学んだ。
大正10年(1921)『金の船』や『少年倶楽部』などに童謡を発表し、大正 15年(1926)に
詩集『爪色の雨』を発刊、詩人として歩み始めた。
 昭和 12年(1937)上野桜木町から向ヶ丘弥生町に移った。
週一回の、詩の勉強会"木曜会"が開かれ『木曜手帳』が刊行されたのも、
この地である。
 昭和52年(1977)自宅の一階を改装して記念館が開館され、原稿や愛用品が展示
されたが、記念館は平成 8年(1996)岩手県北上市に移った。
 庭の一隅に、童謡『ちいさい秋みつけた』に歌われた"はぜの木"があったが、
平成 13年(2001)10月礫川[れいせん]公園[春日 1-15]内に移植された。

 平成 15年 3月     文京区教育委員会

foot今日も坂めぐり>>

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