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弥生坂(鉄砲坂)と「弥生式土器発掘ゆかりの地」の碑

P1040647

東京メトロ千代田線の根津駅のある不忍通りから本郷通りへと続く坂が
弥生坂です。

P1040650

坂名の由来を記した説明板によれば、

かつてこのあたり一帯は「向ヶ岡弥生町」といわれていた。
元和年間(1615~24)の頃から、御三家水戸藩の屋敷(現東大農学部、
地震研究所)であった。隣接して、小笠原信濃守の屋敷があり、
南隣は加賀藩前田家の屋敷(現東大)であった。

明治2年(1869)これらの地は明治政府に収公されて大学用地になった。
明治5年(1872)には、この周辺に町家が開かれ、向ヶ岡弥生町と名づけられた。

その頃、新しい坂道がつけられ、町の名をとって弥生坂と呼ばれた。
明治の新坂で、また坂下に幕府鉄砲組の射撃場があったので鉄砲坂ともいわれた。

弥生とは、水戸徳川斉昭候が、文政11年(1828)3月(弥生)にこのあたりの
景色を詠んだ歌碑を、屋敷内に建てたからという。

  名にしおふ春に向ふが岡なれば 世にたぐひなき花の影かな
                                      徳川 斉昭



P1040652

幅が太くまっすぐな坂なので坂上から坂下まで見渡せます。
弥生坂は、どっしりと存在感のある坂です。

P1040658


坂上には、弥生式土器発掘ゆかりの地の碑があります。


文京区のHPによれば、

明治17年、東京大学の有坂鉊蔵、坪井正五郎、白井光太郎の3人が、
根津谷に面した貝塚から赤焼きのつぼを発見した。

これが後に縄文式土器と異なるものと認められ、発見地の地名を取り
弥生式土器と名付けられた。
しかし、最初の発見地についてははっきりせず、近年まで3説があったが、
昭和49年の東大浅野キャンパス内の発掘により、
この地(従来の3説の地とは異なる)が最有力とされている。



弥生時代の存在が、この弥生坂のあたりで確認されたとは感慨深いです。

foot今日も坂めぐり>>

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