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東大裏の暗闇坂

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弥生坂の弥生式土器発掘ゆかりの地の碑のある角を曲がると、
東京大学の赤門とは反対側の裏門にあたる弥生門があります。

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重厚な作りと凝った細工が裏門とは感じさせません。
 
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弥生美術館・竹久夢二美術館がある通りを東大付属病院あたりまで
進むと、この時期には彼岸花が咲く静かな雰囲気です。

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なだらかでほとんど坂とは感じなませんが、ここが暗闇坂です。

坂名の由来を記した説明板によれば、

江戸時代は、加賀屋敷北裏側と片側寺町の間の坂で、樹木の生い茂った
薄暗い寂しい坂であったのであろう。

江戸の庶民は、単純明快にこのような坂を暗闇坂と名づけた。
23区内で同名の坂は12か所ほどある。区内では、白山5丁目の
京華女子高校の裏側にもある。

この坂の東側鹿野氏邸(弥生2-4-1)の塀に、挿絵画家、高畠華宵の記念碑
がはめこまれている。華宵は、晩年鹿野氏の行為でこの邸内で療養中、
昭和41年7月に亡くなった。
大正から昭和にかけて、優艶で可憐な画風で若い人たちの大きな共感を呼んだ。


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更に進むと境稲荷神社の隣に今では懐かしい井戸があります。
この井戸は弁慶鏡ヶ井戸というそうです。

説明を読むと

源義経とその従者が奥州へ向かう途中に弁慶が見つけ、一行ののどを
うるおしたと伝え、『江戸志』など江戸時代の史料にも名水として記録がある。
一時埋め戻したが、昭和 15年に再び掘り出し、とくに昭和 20年の東京大空襲
などでは多くの被災者を飢渇から救った。
井戸脇の石碑は掘り出した際の記念碑で、造立者の中には当地に住んでいた
画伯横山大観の名も見える。

 


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道を左折すると、不忍通りに面して日本画家横山大観の住居があります。

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現在は、横山大観記念館になっている住居はビルに囲まれた中で
貴重な板塀に囲まれた日本家屋です。

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門をくぐると、表の喧騒とはかけ離れた落ち着いた雰囲気です。


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