« 根津神社と根津裏門坂 | トップページ | 解剖坂と夏目漱石居住地跡 »

団子坂と森鴎外の観潮楼

P1040542

東京メトロ千代田線の千駄木駅を地上にでると、団子坂があります。

P1040546

坂名の説明板によれば、

潮見坂、千駄木坂、七面坂の別名がある。
「千駄木坂は千駄木御林跡の側、千駄木町にあり、里俗団子坂と
唱ふ云々」(御府内備考)

「団子坂」の由来は、坂近く団子屋があったともいい、悪路のため
転ぶと団子のようになるからともいわれている。

また「御府内備考」に七面堂が坂下にあるとの記事があり、
ここから「七面坂」の名が生まれた。

「潮見坂」は坂上から東京湾の入江が望見できたためと伝えられている。

幕末から明治末にかけて菊人形の小屋が並び、明治40年頃が最盛期であった。
また、この坂上には森鴎外、夏目漱石、高村光太郎が居住していた。


P1040548_2

森鴎外の「青年」や、夏目漱石の「三四郎」には団子坂が出てきます。
江戸川乱歩作の明智小五郎が最初に登場した「D坂の殺人事件」のD坂
とは、この団子坂のことだそうです。

P1040549

団子坂上まで登り、左折すると観潮楼跡があります。

P1040551

観潮楼は、森鴎外(本名・森林太郎)が住んでいた家です。

P1040555


説明板によれば

森鴎外(1862〜1922)は明治 25年(1892)1月から大正 11年 7月 9日
60歳で歿するまで、この地に住み、多くの名作を残した。

鴎外は邸宅に二階建で十二畳の書斎を増築し、遙か遠くに品川沖が
眺められたので観潮楼と命名した。

ここを文学活動の拠点とした鴎外は『青年』『雁』や、『阿部一族』『高瀬舟』
などの歴史小説、さらに『渋江抽斎』に至る独自の公称史伝作品を発表した。
また、明治 40年(1907)から催された観潮楼歌会には、与謝野寛(鉄幹)、
石川啄木など多くの詩人や歌人が参会して、鴎外を中心とした文学者の集まり
が形成された。

観潮楼は昭和 12年(1937)の火災および昭和 20年(1945)の戦災により焼失したが、
図書館の南側にある旧表門の礎石、敷石や庭園内の老銀杏、庭石(幸田露伴、
斎藤緑雨ゆかりの三人冗語の石)などに、当時の面影が偲ばれる。

日本文学史上、意義深いこの地に、昭和 37年(1962)鴎外記念室を持つ鴎外
記念図書館を開設。


P1040564

文京区のこの場所で書斎から東京湾が望めたとは、今では想像もできません。

P1040562

観潮楼の前の道は、藪下通りと名付けられています。

P1040559

根津神社の裏手まで続くこの通りは、鴎外の家を訪れるため
かつて多くの文人たちが歩いた道だそうです。

foot今日も坂めぐり>>  

|

« 根津神社と根津裏門坂 | トップページ | 解剖坂と夏目漱石居住地跡 »

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

明治・大正めぐり」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/400245/31473848

この記事へのトラックバック一覧です: 団子坂と森鴎外の観潮楼:

» 江戸川乱歩の怪人二十面相DS [江戸川乱歩の怪人二十面相DS]
江戸川乱歩の怪人二十面相DSの最新動画や評価レビュー、攻略情報なら「江戸川乱歩の怪人二十面相DS」へ! [続きを読む]

受信: 2009年9月23日 (水) 05時37分

« 根津神社と根津裏門坂 | トップページ | 解剖坂と夏目漱石居住地跡 »