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2010年1月

横須賀 戦艦三笠と行進曲軍艦(軍艦マーチ)の歌碑

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日露戦争当時の戦艦三笠がある横須賀の三笠公園を訪れました。

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三笠は明治35年(1902年)に作られたとは思えないほど、きれいに
手入れされています。

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その戦艦三笠の船尾付近に、行進曲軍艦(軍艦マーチ)の歌碑があります。


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歌碑正面には、「行進曲 軍艦」の題字と譜面の一部、下部には碑文として

行進曲「軍艦」は明治30年海軍軍楽長 瀬戸口藤吉氏によって作曲された 
日本の勃興期における行進曲として親しまれ 未来への明るい希望と自信
を与え勇気づけるものである 
世界3大行進曲の一つとして 音楽史を彩る稀有の名曲で 
作曲されてから一世紀を迎える年にあたり 瀬戸口軍楽長がこよなく愛し 
青春の日日を送り己が終焉の地ともなったこの横須賀の三笠公園に
行進曲「軍艦」の顕彰碑を建立いたしたものである

と記されています。

碑裏面には、鳥山啓作詞の「行進曲 軍艦」の「守るも攻めるもくろがねの・・・」
の歌詞が刻まれています。

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勇壮な三笠の出航風景が想像できます。

Walkerひで”今日も歌碑めぐり”>>

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三田の安全寺坂

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三田の慶応義塾大学の正門前の桜田通り(国道一号線)を、白金方面に少し
進むと、左手に細い坂道があります。

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安全寺坂という坂です。

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坂名の由来の説明によれば、

坂の西に江戸時代はじめ安全寺があった。誤って安珍坂、安楽寺坂、
安泉寺坂などとも書かれたことがあった。

とのことです。

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坂上から坂下

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名前の由来となった安全寺は現在はありませんが、坂の上から見ると

表通りの交通の激しさからは想像できない、静かなお寺の墓地の風景
が広がっています。


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慶應義塾大学へ

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三田の慶應大学を訪れました。 休日のキャンパスはサークル活動らしい
学生だけです。

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日本最初の演説会堂の三田演説館は慶應のシンボルのひとつです
慶応大学の創始者、福澤諭吉が建造にかかり、明治8年に開館しました。

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洋風の三田演説館ですが、日本独特のなまこ壁の外観が特徴です。

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三田演説館>>

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三田演説館と並んで慶應義塾大学を象徴する建造物の一つ
赤煉瓦の慶応義塾図書館は、晴天の青空に聳え立っています。

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1912年に完成した慶応義塾図書館は、関東大震災、東京大空襲の
被害を受けずに、建設当初の華麗な姿を残しています。

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赤煉瓦と花崗岩の壮麗な外観は、ゴシック様式洋風建築です。
慶応義塾図書館>>

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さらにキャンパスを散策していると、福澤諭吉終焉之地記念碑が
ありました。
明治34年(1901)2月3日、福沢諭吉は三田山上の自邸で逝いた
そうです。

慶應義塾大学のキャンパスには、さまざまな歴史があります。

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品川 浜川砲台跡

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北品川から大森まで続く旧東海道には、蔵や長屋の建物がまだ残っています。

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立会川付近まで来ると、「若き日の龍馬がゆく」「浜川砲台」と書かれた
幟が目に付きます。

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立会川の浜川橋(涙橋)に、「浜川砲台跡 この先ペリー艦隊黒船が見える」
と書かれた看板が掲げられています。

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橋の袂には涙橋の由来が記されています。


慶安4年(1651)品川にお仕置き場(鈴ケ森刑場)が設けられました。

ここで処刑される罪人は、裸馬に乗せられ江戸府内から刑場に護送されて
きました。 
この時、親族らがひそかに見送りにきて、この橋で涙を流しながら別れた
ということから、「涙橋」と呼ばれるようになりました。



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そんな、立会川の下流に浜川砲台跡があるようです。

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砲台の石垣が数個積まれた砲台跡の史跡は、当時の砲台をイメージする
のは難しいです。

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砲台跡の前は、マンションと水路の眺めです。

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説明版によれば

ペリー来航の嘉永6年(1853年)、土佐藩は砲台築造の願を幕府に
提出し許可を得て、翌年、砲台を造った。浜川砲台といわれた。

砂浜のやわらかい土地を、石・土砂で埋め立て、2300坪に拡大させている。

砲台は8門を設置していた。警備陣は品川下屋敷を宿所として
この砲台に配置されていた。

浜川砲台と品川下屋敷を結ぶ連絡路は、現在の立会川商店街の道路
であり、その距離は200メートルである。

若き日の坂本龍馬も警備陣に加わっており、この道を毎日歩いていた。


とのことです。

意外なところで坂本龍馬の歴史に出会いました。

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品川の東海七福神めぐり

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東海七福神めぐりをしてみようと、まずは北品川の品川神社を訪れました。

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第一京浜沿いにある品川神社の鳥居脇には大黒天像があります。

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品川神社の石段の途中に富士塚があります。

富士塚は富士山詣での富士講が盛んになった江戸時代に関東各地に造られ、
頂上には浅間神社を祀っています。

品川神社の富士塚は高台にあるので、見晴らしが良いです。

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品川神社前の第一京浜を渡った旧東海道へ行く途中には、
布袋尊を祀る養願寺があります。

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寿老人を祀る一心寺は、養願寺のすぐそばの旧東海道にあります。

ここからは、旧東海道を下ってゆきます。


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旧東海道を目黒川まで歩いてくると、朱塗りの橋があります。

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恵比寿を祀る荏原神社です。

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荏原神社は東海道品川宿の総鎮守で、和銅2年(709)に創建されたそうです。

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旧東海道をさらに進みます。

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道沿いには、蔵や長屋の造りをそのまま残した家が目に付きます。

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青物横丁駅付近まで来ると、毘沙門天を祀る品川寺があります。


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品川寺から、ひたすら旧東海道を立会川まで歩くと、福禄寿を祀る
天祖諏訪神社があります。

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七福神めぐりのこの時期には木彫りの福禄寿の像がお出ましになっています。

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旧東海道と第一京浜が合流した大森海岸付近に、弁財天を祀る
磐井神社があります。

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磐井神社は、平安時代に記された延喜式の名に記載されているというから、
延喜年間(901年-921年)にはすでに存在していたそうです。

かつては東京湾の浜までが磐井神社の境内で、沖合に鳥居があったそうです。

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第一京浜の歩道に磐井の井戸があります。

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磐井の井戸の水は東海道往来の旅人に利用され、霊水または薬水と
称されたそうです。土地の人々は、この井戸水を飲むと、
心正しい人には清水だが、邪心のある人には塩水となるという言い伝え
があるそうです。

東海七福神の地図はこちら>>

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日本橋 魚久

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日本橋七福神めぐりの途中で休憩場所を探していると、

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魚久本店の2階にイートインのあじみせがあるのを見かけました。
大正3年、米屋町と称された日本橋蛎殻町で鮮魚の小売商「魚久商店」
として開業しました。
その後、昭和15年二代目が江戸風割烹を開店したところ、季節の会席
の料理として出した粕漬けが好評で、味にうるさい米の仲買商の間でも
評判となり、常連のお客様が料亭土産にと、クチコミで人気を呼び
昭和40年に粕漬け専門店となったそうです。


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その粕漬けが手軽にランチで食べられる魚久あじみせイートイン
はうれしいです。

魚久あじみせイートイン>>

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日本橋七福神めぐり

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新春にふさわしく七福神めぐりをしようと日本橋を訪れました。
纏を持った江戸火消しの衣装を纏った人が歩いているのが
正月の日本橋らしいです。

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ちょうど今日1月4日は、日本橋七福神めぐりを三越本店が協賛しており、
順路の要所要所に三越の人が立って案内してくれています。



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しかし、小網神社からの順路で行くと今日は参加者が多いため
順路を変えて寶田恵比寿神社からスタートです。 

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寶田恵比寿神社にやってくると、べったら市で訪れた神社だと気がつきました。
日本橋のべったら市へ>>


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続いて、椙森神社です。 寶田恵比寿神社と同じ恵比寿神社を祀っています。

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椙森神社の境内には江戸時代の富くじを記念する富塚があります。

富くじ興行は寛永年間(1624年~1643年)に神社仏閣の改修費用に充てるため
に始まり、椙森神社の富くじは江戸三富のひとつに数えられ、盛大に行われた
そうです。


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次は、寿老人を祀る笠間稲荷神社です。

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笠間神社の前の看板を見ると、日本橋七福神は8つの神社です。
そういえば、最初の寶田恵比寿神社と次の椙森神社は同じ恵比寿様を
祀っていました。

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ついで毘沙門天を祀る末廣神社です。
延宝3年(1675)社殿を修復したときに縁起の良い末広扇が見つかった
ことから末廣神社と名づけられたそうです。

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ついで訪れた大黒天を祀る松島神社はビルと一体となった都心らしい神社です。
大鳥神社でもあるので酉の市で賑わうそうです。


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次いで安産祈願で有名な水天宮です。

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水天宮の境内の一角に祀られた弁財天は七福神めぐりの人で賑わっています。   

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茶ノ木神社は布袋尊を祀っています。神社の周囲に巡らされたお茶の木の
緑が見事だったことから名づけられたそうです。

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最後は小網神社です。福禄寿と弁財天を祀っているそうです。

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小網神社の神楽殿は総檜造りで重厚な彫刻が施されている貴重なものだそうです。

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日本橋七福神めぐりをしている途中に松島神社で買った七福神飴と
三越でいただいた干支の手ぬぐいが正月らしい土産となりました。

日本橋七福神の地図はこちら>>

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神田明神の甘酒

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神田明神と言えば大鳥居脇の甘酒の天野屋が有名です。

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初詣を終えた参拝客が甘酒を求め大勢訪れています。


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天野屋の甘酒は、甘さがくどくないです。これは、糀を地下室で作り、
釜の中でお粥と糀を一定温度で保持して作り、砂糖をいっさい使わない
天然の糖の製法だからだそうです。

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甘酒は、江戸市民の唯一の甘味源として日常生活に欠かすことのできない
貴重な存在だったそうです。
江戸に散在する甘酒屋に対する人々の人気は高く、「富士山に肩を並べる甘酒屋」
と句に詠まれるほどだったそうです。


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店内では、甘酒が山積みです。 合格甘酒というものも売られていました。
甘酒は脳の活動を活発にする自然のブドウ糖を吸収良い形で飲める
唯一の受験飲料だとのことです。

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店の脇には「中山道」と書かれた道標が立っています。
江戸時代の旅立つ人たちが多く訪れたのがしのばれます。

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神田明神へ初詣

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初詣に田明神を訪れました。

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神田明神は、神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場
など108か町会の総氏神です。

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神田明神は、商売繁盛を祈願する多くの参拝客が訪れていますが、
企業の始まる1月4日以降も、多くのビジネスマンが訪れます。

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境内では酒饅頭が暖かい湯気を上げており、思わず買ってしまいます。

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神楽殿では賑やかなお神楽が演じられていました。
神田明神は江戸の雰囲気を今も感じられる場所です。

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湯島聖堂へ

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御茶ノ水の湯島聖堂を訪れました。


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湯島聖堂は、元禄時代に5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟です。
寛政9年(1797年)に幕府の官立の昌平坂学問所が設立されたそうです。

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受験の合格祈願の参拝の場所として湯島天神と同様に名高いです。

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湯島聖堂は正月の初詣とは違い、厳粛な雰囲気です。

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みなとみらいへ

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正月2日目ですが、あまりに天気が良いのでみなとみらいを訪れました。

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正月のみなとみらいは、いつも以上に澄んだ青空がきれいです。

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2010年の歩き初め

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2010年元旦の今日、朝早く目が覚めてしまったので薄暗いうちから
近所の神社に初詣に行き、その後、多摩川土手まで歩いてゆくと
初日の出を見ることができました。

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日の出直後の太陽を受けて、木々や自分の影が長いのが印象的です。

今年も1年元気に散歩を続けたいと思います。

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