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品川 浜川砲台跡

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北品川から大森まで続く旧東海道には、蔵や長屋の建物がまだ残っています。

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立会川付近まで来ると、「若き日の龍馬がゆく」「浜川砲台」と書かれた
幟が目に付きます。

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立会川の浜川橋(涙橋)に、「浜川砲台跡 この先ペリー艦隊黒船が見える」
と書かれた看板が掲げられています。

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橋の袂には涙橋の由来が記されています。


慶安4年(1651)品川にお仕置き場(鈴ケ森刑場)が設けられました。

ここで処刑される罪人は、裸馬に乗せられ江戸府内から刑場に護送されて
きました。 
この時、親族らがひそかに見送りにきて、この橋で涙を流しながら別れた
ということから、「涙橋」と呼ばれるようになりました。



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そんな、立会川の下流に浜川砲台跡があるようです。

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砲台の石垣が数個積まれた砲台跡の史跡は、当時の砲台をイメージする
のは難しいです。

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砲台跡の前は、マンションと水路の眺めです。

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説明版によれば

ペリー来航の嘉永6年(1853年)、土佐藩は砲台築造の願を幕府に
提出し許可を得て、翌年、砲台を造った。浜川砲台といわれた。

砂浜のやわらかい土地を、石・土砂で埋め立て、2300坪に拡大させている。

砲台は8門を設置していた。警備陣は品川下屋敷を宿所として
この砲台に配置されていた。

浜川砲台と品川下屋敷を結ぶ連絡路は、現在の立会川商店街の道路
であり、その距離は200メートルである。

若き日の坂本龍馬も警備陣に加わっており、この道を毎日歩いていた。


とのことです。

意外なところで坂本龍馬の歴史に出会いました。

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