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2010年3月

鮫河橋坂

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四ツ谷駅そばの迎賓館の隣に学習院初等科があります。

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その前から、神宮外苑の権田原交差点に続く坂は、鮫河橋坂という坂です。

坂名の説明をみると、
みなみもと町公園一帯は、昔から低い土地で、ヨシなどの繁った池沼があり、
周囲の土地からわきだす水をたたえ、東南の方向へ流れて鮫河となり、
赤坂の溜池にそそいでいました。

江戸時代になってからは水田となり、寛永年間に行われた江戸城の外堀工事
の際に余った土で埋め立てられて、町になったといわれています。

鮫河には橋が架かっていて、鮫河橋と呼ばれていました。
鮫河橋は「江戸名所図会」にもとりあげられて有名になったので、この付近一帯
を鮫河橋と呼んだ時代があり、今でもみなみもと町公園前の坂に「鮫河橋坂」
という名前を残しています。

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みなみもとま町公園の脇には、鮫橋せきとめ神という祠があります。

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祠の一角には、鮫河橋地名発祥之所の碑があります。

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千日坂

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JR信濃町駅の脇から明治記念館の裏手に沿って降りてゆく坂は千日坂
といいます。

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千日坂は長くて傾斜がきつく、この辺りが谷であったことが分かります。

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坂名の説明には、
この坂下の低地は、一行院千日寺に由来し千日谷と呼ばれていた。
坂名はそれに因むものである。

なお、かつての千日坂は明治三十九年(1906)の新道造成のため消滅し、
現在の千日坂はそれと前後して作られた、いわば新千日坂である。

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坂の途中にある一行院が俗に千日寺とも呼ばれるのは、開祖とされる
下総古河藩の家臣来誉故念が、江戸において初めての千日供養を
つとめたからとのことです。

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一行院には、鎌倉時代から室町時代にわたる数基の板碑(区登録文化財)
が所蔵されているそうです。

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川崎 二ヶ領用水の桜は4分咲き

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先週開花した川崎の二ヶ領用水の桜ですが、その後の寒さで開花は
一気には進まず、樹によってばらつきがありますが4分咲きくらいです。



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寒いなか、 お花見の宴が各所で始まっています。

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二ヶ領用水の桜は、来週半ばに満開を迎えそうです。

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赤坂 山王坂(鹿島坂)

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日枝神社の山王男坂を下ると、すぐ前に山王坂があります。

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山王坂の両脇は衆議院議員会館です。

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坂名の由来を読むと、

この坂を山王坂といいます。この坂のあたり明治維新まではほとんどが
山王社(日枝神社)の社地であり、社前に下る坂なのでこの名が
つけられてのでしょう。

また一名鹿島坂と呼ばれていますが、坂の近くに明治時代の豪商
鹿島清兵衛の邸宅があったのでそのようによばれたといいます。

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現在は議員会館の工事のため、雑然とした雰囲気ですが、議員会館が完成
するともう少し落ち着いた感じになるのでしょうか

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山王坂の坂上は国会裏の交差点です。

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赤坂日枝神社の山王男坂と山王女坂

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赤坂の外堀通りに面して日枝神社があります。
外堀通りに面した石段は広く、脇にはエスカレーターまで設置されています。


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文明10年(1478)太田道灌が江戸城築城にあたり、鎮護の神として
川越山王社を勧請したことに始まるそうです。

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神門には猿の像が祀られていますが、日枝の神様のお使いは「猿」だそうです。
古くから魔が去る「まさる」と呼ばれ、繁殖の獣として人々に愛され、犬と共に
分娩の軽い安産の神としても信仰されているそうです。

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社殿の脇にも狛犬ではなく、猿が鎮座しています。

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由緒ある日枝神社ですが、周囲には高層ビジネスビルが迫っています。

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神門からまっすぐに下る石段が山王男坂です。

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鳥居の脇には坂名の由来が記されています。

この坂を山王男坂といいます。日枝神社の表参道。
左側のゆるやかな坂「女坂」に対して名づけられています。
二つの坂を比較して急な坂を男坂、ゆるやかな坂を女坂と呼ぶことは
各地にみられます。
石段の数五十三。山王の地は又の名称を星が岡ともいう景勝の地でありました。

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説明通り、鳥居の左側には緩やかな山王女坂があります。

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この坂を山王女坂といいます。正面の石段に対しその名がつけられています。
また別の名は御成坂とも呼ばれています。
東京名所図会には「左緩かに通ずる石階を女坂と呼ぶは非なり。
昔時将軍家御成の節、岐坂を避け此坂のみ御通行遊ばれしより御成坂
と申侍るを女坂と聞誤しにあらぬかと」とかかれています。


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川崎 二ヶ領用水の桜が開花

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川崎市の二ヶ領用水は毎年桜の時期は大勢の花見客で賑わいますが、
そろそろ開花しているかと思い歩いていると、桜が開花していました。

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先週には桜並木に提灯が取り付けられ、日に日に蕾が大きくなり桜色
になっていましたが、ここ数日の暖かさで開花しました。

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まだ一分咲きにもなりませんが、これから一気に開花が進みそうです。


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来週末には二ヶ領用水でお花見が楽しめそうです。

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東福院坂(天王坂)

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東福院坂は、新宿区若葉2丁目辺りにある坂です。

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坂名の説明を読むと

坂の途中にある阿祥山東福院に因んでこう呼ばれた。
別名の天王坂は、明治以前の須賀神社が牛頭天王社と称していたため、
この辺りが天王横町と呼ばれていたことによる。

地図>>

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青梅市梅郷 梅の公園の観梅

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青梅線日向和田駅から、梅郷の梅の公園に梅の花を見に行きました。
駅から公園まで行く途中も、梅の花がいたるところに咲いています。

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公園に入ると、白梅が一面に広がり、霞がかかっているようです。

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梅の公園には、大勢の観梅客が訪れています。

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梅の花の後ろには、奥多摩の山並みが広がります。

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遠くからは霞のように見えた白梅ですが、近くで見ると白い花が枝に密集
しています。

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公園内は起伏があるので、紅白の梅の花が一望できます。 

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120品種、1,500本の梅がある梅郷の梅の公園は今が見頃です。

梅の公園>> 







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二ケ領用水のお花見準備

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普段は静かな二ケ領用水ですが、今日は朝から大勢の人の話し声や
物音が聞こえます。

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二ケ領用水の桜並木に、地元の有志の人たちが提灯を取り付けています。

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提灯の並んだ桜並木は、まもなく大勢の花見客で賑わいます。

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少し膨らんだ桜の蕾は開花間近の様子です。これからは、毎朝膨らみ具合
が気になります。

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鐙坂(あぶみざか)

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真砂坂上から右に進み菊坂へ抜ける道は、鐙坂という坂です。

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鐙坂の坂上には、金田一京助・春彦 旧居跡があります。
アイヌ民族に関る言語、文学、民俗の研究家の金田一京助がこの地に
住んでいた大正2年(1913)、息子の国語学者金田一春彦が生まれたそうです。


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鐙坂下より坂上を臨む

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坂名の説明によれば、

本郷台地から菊坂の狭い谷に向かって下り、先端が右にゆるく曲がっている
坂である。
名前の由来は、「鐙の製作者の子孫が住んでいたから」(『江戸志』)とか、
その形が「鐙に似ている」ということから名づけられた(『改選江戸志』)など
といわれている。

この坂の上の西側一帯は上州高崎藩主大河内家松平右京亮の中屋敷で、
その跡地は右京山と呼ばれた。


小さな坂ですが、鐙坂にはエピソードがいろいろあります。

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旧東富坂(飛び坂)

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本郷3丁目から春日通りを春日方面に進み、真砂坂上の交差点を
左折すると、坂があります。

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真砂坂は東富坂とも言われていますが、こちらの坂は旧東富坂です。

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坂名の説明を読むと、

  むかし、文京区役所があるあたりの低地を二ヶ谷といい、この谷をはさんで、
東西に二つの急な坂道があった。

東の坂は、木が生い繁り、鳶がたくさん集ってくるので、「鳶坂」といい、
いつの頃からか、「富坂」と呼ぶようになった。(『御府内備考』による)
富む坂、庶民の願いがうかがえる呼び名である。

また、二ヶ谷を飛び越えて向き合っている坂ということから「飛び坂」ともいわれた。
明治41年、本郷3丁目から伝通院まで開通した路面電車の通り道として、
現在の東富坂(真砂坂)が開かれた。
それまでは、区内通行の大切な道路の一つであった。

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坂に沿って東京メトロ丸の内線が地上に出てくる姿が見えます。
思いがけない光景なので少し驚きますが、坂の多いこのあたりならでは
の風景ともいえます。

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新宿 観音坂(西念寺坂・潮踏坂・潮干坂)

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四ツ谷の西念寺は、文禄2年(1593年)に服部半蔵が創建した寺です。
忍者として知られている服部半蔵ですが、槍の名手としても知られ、
当時「槍の半蔵」と言われたそうです。
その服部半蔵の槍が本堂に保存されているそうです。

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境内には服部半蔵の墓所もあります。

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西念寺裏手の坂が観音坂です。

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坂名の説明を読むと、

西念寺と真成院の間を南に下る坂。坂名は 真成院の潮踏観音に因む。
別名は西念寺坂・潮踏坂・潮干坂。
潮踏観音は, 江戸時代以前に四谷周辺が潮踏の里と呼ばれたことに因む。
潮の干満につれ 台石が湿ったり乾いたりするので 汐干観音とも呼ばれた。

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坂名の元の潮踏観音があった真成院は坂の途中にありますが、
現在は近代的な建物です。

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潮の干満につれ 台石が湿ったり乾いたりする、と言われた観音坂の
坂下は、もちろん現在ではその名残はありません。

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東富坂(真砂坂)

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本郷3丁目の駅から春日通りを水道橋方面に進むと真砂坂上という
交差点があります。

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真砂坂上から春日へ下る坂が東富坂(真砂坂)といわれる坂です。

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坂名の説明を読むと、

本来の「東富坂」は、この坂の南を通る地下鉄丸の内線に沿った狭い急坂である。
現在は、「旧東富坂」と呼んでいる。
もともとの坂は江戸の頃、木が生い繁り、鳶がたくさん集まってくることから「鳶坂」
といい、いつの頃からか「富坂」と呼ぶようになったという。

現在の東富坂は、本郷3丁目から伝通院まで、路面電車(市電)を通すにあたり、
旧東富坂上から春日町交差点まで新しく開いたゆるやかな坂道である。
この市電は、1908年(明治41年)4月11日に開通した。
現在、文京区役所をはさんで反対側にある坂を、「富坂(西富坂)」と呼び区別
している。

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真砂坂といわれるのは、このあたりが明治2年から真砂町という地名だった
からです。昭和40年には本郷4丁目と改名されましたが、今でも旧町名は
真砂坂に名残を留めています。

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外記坂(新坂)

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壱岐坂下から壱岐坂の左側の細い道を入ると、春日方面に向かう石段が
あります。

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新坂または外記坂といわれている坂です。

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坂名の説明によれば

区内には、新坂と呼ばれる坂が六つある。『東京案内』に、「壱岐坂の北にありて
小石川春日町に下るを新坂といふ」とある。
『江戸切絵図』(嘉永6年尾張屋清七坂)によると、坂上北側に内藤外記という
旗本の大きな屋敷があり、ゲキサカとある。
新坂というが、江戸時代からあった古い坂である。

 この坂の一帯は、もと御弓町、その後、弓町と呼ばれ、慶長・元和の頃(1600年
ごろ)御弓町の与力同心六組の屋敷がおかれ、的場で弓の稽古が行われた。

明治の頃、石川啄木、斎藤緑雨、内藤鳴雪などの文人が住んだ。

とのことです。

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こうした何気ない階段にも坂名があるところが、江戸時代からの歴史を
感じさせます。


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坂上の近くにある朝陽館本家という旅館も本郷らしい雰囲気です。

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壱岐坂

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JR水道橋駅から白山通りを白山方面に進むと壱岐坂下の交差点があります。


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交差点を右折すると東洋学園大学の校舎を挟んで坂は2つに分かれます。
左が壱岐坂、右が新壱岐坂です。

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坂名の説明には、

「壱岐坂は御弓町へのぼる坂なり。彦坂壱岐守屋敷ありしゆへの名なりといふ。
按に元和年中(1615~1623)のほんごうの図を見るに、此の坂の右の方に
小笠原壱岐守下屋敷ありて吉祥寺に隣れり。
おそらくは此小笠原よりおこりし名なるべし。」(改撰江戸志)

御弓町については「慶長・元和の頃御弓同心組屋敷となる。」とある。(旧事茗話)

と記されています。

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表通りの新壱岐坂は交通量が多いですが、壱岐坂は静かです。

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偕楽園 長塚節歌碑

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水戸偕楽園を訪れた時、案内図に 長塚節歌碑 という記載がありました。
長塚節とは、あまり聞いたことはないですが、この地の民謡のひとつ
かと思い、歌碑を探してみました。

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長塚節とは、この地で育った「ながつかたかし」という、正岡子規に師事した
歌人だそうです。

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長塚節歌碑とは短歌の歌碑でしたが、この地を謳った短歌が地元の人々に
愛されていることがわかります。

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茨木名物といえば、納豆と鮟鱇

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水戸偕楽園の駐車場付近にはいくつものお店が出ていますが、
こちらは水戸納豆組合のお店です。
スーパーでは3個100円程度の納豆が主流ですが、こちらでは
600円程度の納豆があり、風味豊かな納豆が売られています。

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途中で立ち寄ったドライブインでは、店頭に鮟鱇がぶら下げられています。
身の柔らかい鮟鱇は切りにくいので、こうして鮟鱇の吊るし切りで切ら分け
られるそうです。

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腹側から見ると、切り口からはアンキモらしきものが見えます。

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水戸弘道館の梅

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雨の中、水戸弘道館を訪れました。



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弘道館は、水戸藩の藩校として第9代藩主徳川斉昭により天保12年(1841)
に創設されたそうです。


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庭園には60品種800本の梅が植えられ、偕楽園と並ぶ水戸の観梅の
人気スポットです。

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弘道館の落ち着いた佇まいと、梅の花がよく似合います。

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雨に濡れた中庭の梅もしっとりとした雰囲気です。

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釣瓶井戸と梅の風景も情緒があります。

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偕楽園ほどは広くないですが、枝振りの良い梅が多い弘道館の庭
は、梅を愛でるには良い場所です。

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水戸偕楽園 「大日本史完成の地」の碑

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水戸偕楽園の一角に、「大日本史完成の地」の碑がありました。 

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日本の歴史書である大日本史は、水戸徳川家第2代藩主徳川光圀が編纂に
着手し、その後も水戸藩の事業として継承され250年を経た明治39年、
この地で完成した、とのことです。

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偕楽園そばの千波湖の徳川光圀像は、歴史の移り変わりを見続けて
いるようです。

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