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2010年5月

高輪 洞坂

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桂坂を下りながら途中で細い道を右折すると洞坂です。

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洞坂に続く細い道は豪奢な表通りの佇まいとは打って変わって
生活感があります。

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そうは言っても、瀟洒な洋館があるあたりが高輪らしいです。

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赤い塗装の道路が情緒を削いでしまいますが、落ち着いた良い坂です。

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説明を読むと、
法螺坂、鯔坂とも書く。このへんの字(あざ)を洞村(ほらむら)と言った。
洞村とは、昔ほら貝が出たとも、またくぼ地だから洞という等様々な説がある。
とのことです。桂坂とおなじような通称が定着した坂のようです。

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坂下にもしっとりとした雰囲気の洋館があります。

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坂下の東禅寺は、最初のイギリス公使館が置かれた場所だそうです。  

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高輪の桂坂

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品川駅から第一京浜国道を北に向い, 高輪2丁目交差点を 西に曲がり、
高輪消防署二本榎出張所のある高輪警察署前の交差点までが、桂坂です。

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説明を読むと、むかし蔦葛(つたかずら・桂は当て字)がはびこっていた。
かつらをかぶった僧が 品川からの帰途 急死したからともいう。

とのことですが、説明としては雑駁な印象です。


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両側の石垣から由緒深い坂であることが伝わってきます。

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緩やかに湾曲しながら少しきつい傾斜の桂坂は、名坂に数えてよい坂です。

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坂上の高輪消防署二本松出張所の佇まいは、桂坂にふさわしい
伝統を感じさせます。

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高輪消防署 二本榎出張所へ

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高輪の高輪警察署前の交差点にある高輪消防署二本榎出張所は
気になる建物です。 恐る恐る中を覗いていると、職員の方が気持ちよく
館内を案内してくれました。

この建物は、第一次世界大戦後の近代的なドイツ表現派の建築様式で
曲線や曲面をモチーフにして力強く流れるような躍動感のあるデザインを
特徴としている、そうです。

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階段ホールの照明も時代を感じさせますが、円柱と壁体、天井の間に
「3段のコーニス」と言われる段があることが特徴だそうです。

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歴史のある重厚な階段ですが、デザインはモダンです。

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事務所の天井には力強い太い梁が印象的です。

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消防署と言えば、すべり棒が思い出されますが、現在は使われていない
そうです。

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2階ベランダからの窓

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窓の内側は2重窓になっています。

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2階から3階への階段は曲線がきれいです。
階段の床と腰壁は大理石とセメントを練って固めたものを研磨したもので、
研ぎ出し仕上げというそうです。

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防災資料室として様々な展示がされている3階の円形講堂は、8本の梁が中心
に集まり、10個の窓部アーチと一体になった特徴的なデザインです。

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昭和8年に現在の庁舎が落成した時に、停電用の照明として「アールヌーボー風
のガス燈」が、円形講堂に設置され、現在も当時のまま保存されています。


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二本榎出張所は海抜25メートルの位置にあり、新築当時は周囲に高い建物
はなく、東京湾を眼下に眺望できたそうで、そのユニークな姿から「岸壁上の灯台」
とか「海原を行く軍艦」と言われ愛されてきたそうです。
 

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味の素 食と暮らしの小さな博物館 訪問

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高輪にある味の素研修センターにある、味の素「食と暮らしの小さな博物館」
を訪れました。ここは味の素創業者の鈴木家の邸宅があった場所だそうです。

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博物館以外にも食に関する図書館もあり、食の文化ライブラリーとして
公開されています。

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1階ホールには書道家武田双雲氏の健康食感謝の書が掲げられています。

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正面の庭には、創業者の鈴木家の邸宅の庭を活かした鯉の泳ぐ池と
茶室があります.

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食と暮らしの小さな博物館は2階の一角にあります。

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アミノ酸に関する情報や、バーチャル工場見学などの情報コーナーは
様々な情報が検索できます。

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くらしと食卓コーナーはそれぞれの時代の食卓が再現されています。
こちらの風景は昭和10年(1935)頃の食卓です。

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それぞれの時代の説明や、当時の味の素製品が展示されています。

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昭和35年(1960)当時の食卓は見覚えがあります。

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昭和60年(1985)当時の食卓。昭和60年も四半世紀前になってしまった
と実感します

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グローバル展開をしている味の素の各国それぞれの商品も見ていて
楽しいです。

これだけの情報とスペースがあるのに、「小さな博物館」とは
ずいぶん謙虚な名前です。

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立会川は龍馬一色

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京浜急行立会川駅付近は坂本龍馬が若いころいたため、今年は盛り上がっています。

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駅前には坂本龍馬像もでき、雰囲気を盛り上げています。

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説明書きによれば、

ペリーが初めて来航した嘉永6年(1853年)、19歳の坂本龍馬は
藩からの許可を得て江戸で剣術修行中でした。

土佐藩は立会川河口付近にあった下屋敷(今の品川区東大井)
警備のため、江戸詰めの武士を動員し、竜馬もその中に加わりました。

同年9月には、「異国船処々来たり候へば、軍(いくさ)も近き内と存じ奉り候、
其節は異国の首を打ち取り」と父親に手紙を書いています。

品川での黒船警固から、竜馬の幕末は出発したのです。


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商店街は、「若き日の竜馬がゆく」をテーマに盛り上がっています。

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パン屋さんでは、竜馬足跡パンの幟がはためいています。

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可愛らしい足の恰好をしたパンは右足がカスタードクリームパンと
左足がアンパンで、せっかくなので両足買ってしまいたくなります。

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お茶屋さんでは、土佐のお茶や水が店頭に並んでいます。

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お蕎麦屋さんは、大振りの海老天を砲台に見立てた「砲台そば」と
「龍馬ハイカラそば」のメニューです。

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中華料理店では、鰹の醤油煮入りの龍馬餃子と、龍馬の大好物であった
軍鶏 入りの龍馬ラーメンが人気のようです。

商店街を抜け、立会川沿いに進むと、龍馬の勤めた浜川砲台跡があります。

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青山学院大学 「学生時代」の歌碑

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青山学院大学の青山キャンパスを訪れました。

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キャンパスには、歴史ある建物と緑が目立ちます。

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蔦の絡んだ建物の前に、ペギー葉山のヒット曲「学生時代」の歌碑があります。
まさに歌詞の通りの光景です。

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「学生時代」は、青山学院大学出身の故・平岡精二氏が母校青山学院を
イメージして作詞・作曲し、青山学院女子高等部出身のペギー葉山の歌で
1965年に発売され大ヒットしました。

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現在でも青山学院の学生に世代を越えて歌い継がれ「第二校歌」とも
呼ばれているそうです。

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青山学院大学カレッジソングの歌碑

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青山学院大学青山キャンパスを訪れました。

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キャンパスに入ると、交通量の多い青山通り(246号線)の喧騒を忘れてしまう
静寂と豊かな新緑が広がっています。
 

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歴史を感じさせる建物が並ぶキャンパスは伝統を感じさせます。

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2号館前に青山学院大学カレッジソングの歌碑があります。
青山学院には校歌とカレッジソングがあるそうですが、
カレッジソング(作詞:松本休 編曲:高橋繁)は、 青山学院大学の校歌で、
校歌(作詞:大木金次郎 作曲:平岡精二)は、 青山学院全体の校歌にあたる
そうです。



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学生の間ではカレッジソングの方がよく歌われているそうです。

青山学院大学カレッジソング>>

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浅草の空中に浮かぶハシ

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浅草を訪れたので、まずは浅草寺にお参りです。
来週が三社祭のせいか、参道には提灯が飾られています。


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浅草寺本殿は改修中ですが、多くの人が訪れています。

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本殿は荘厳な雰囲気です。 

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浅草らしい雰囲気にあふれた伝法院通りを通り、六区に向かいます。


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昼から賑わう居酒屋からは客引きの声がひっきりなしです。 

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昼から居酒屋に入るのは躊躇しますが、お祭りの出店のように楽しんで
いる客たちの姿を見ると、思わず立ち寄りたくなってしまいます。

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賑やかな街並みの中で、箸が空中で上下する不思議なディスプレーを
見かけました。

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どうなっているのか、いろいろな角度から眺めてしまいますが、
地元の人たちには見慣れた風景らしく、興味はないようです。

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武者小路実篤住居のある実篤公園へ

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京王線つつじヶ丘駅と仙川駅の中間あたりに武者小路実篤の旧居跡
が実篤記念館と実篤公園になっています。

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水のあるところに住みたいという願いを子供のころから持ち続けていた
武者小路実篤は、昭和30年の暮れにその念願がかなって、武蔵野の自然と
豊富な湧水をたたえたここ仙川の地を仕事場兼自己完成の場として選んだ
そうです。

武者小路実篤記念館は、実篤の本、絵や書、原稿や手紙、実篤が集めていた
美術品などを所蔵し、展示しています。

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実篤が昭和30年から51年まで、晩年の20年間を過ごした邸宅は実篤公園
として開放されています。

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約5,000平方メートルの園内には、今も豊富な湧水池の周りにウメ、コブシ、
サクラ、フジ、アジサイ、ツバキなどの花木や武蔵野の野草があり、
かつての武蔵野の風情を感じさせます。

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庭園全体を見渡せる場所にの旧居があります。

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いっぱいに広がったガラス窓越しに庭の緑がきれいです。

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晩年期の武者小路実篤はここでは、集まる野鳥や池の鯉に餌を与えたりする
毎日過ごす安子夫人と二人の静かな生活でだったそうです。

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自伝小説「一人の男」や、野菜や花を描いた絵の多くを書いたのも
この部屋だったそうです。

住宅地の真ん中で意外な歴史を楽しむことができました。

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思い出のアルバムの歌碑

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京王線つつじヶ丘駅近くの常楽院というお寺にある「思い出のアルバム」
の歌碑 を訪れました。

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「思い出のアルバム」(増子とし作詞、本多鉄麿作曲)は現在でも
全国の幼稚園や保育園で歌われている親しみのある曲です。

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歌碑の楽譜を見ていると、思わず口ずさんでしまいます。

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その「思い出のアルバム」の歌碑が常楽院にあるのは、作曲者の本多鉄麿氏
が、この寺の第五十二世住職であり、常楽院が経営している「神代幼稚園」の
園長を勤めていたからだそうです。

常楽院 調布市西つつじヶ丘4-9-1

思い出のアルバムの曲はこちら>>

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大阪証券取引所と大阪俵物会所跡

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大阪証券取引所のある北浜は大阪の金融の中心地です。

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大阪証券取引所を開設した五代友厚は、明治維新後、大阪造幣寮(現・造幣局)
等の設立に尽力した後、民間に転じ紡績業,鉱業,鉄道業などを幅広く手がけた
事業家だそうです。

さらに,堂島米会所を復興するとともに、株式取引所条例の成立を受け自ら
大阪証券取引所の前身である大阪株式取引所を設立し、明治期の商都大阪の
経済的基盤を築いた人物だそうです。

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五代友厚は、東京で東京商法会議所(現・東京商工会議所)等を設立した
渋沢栄一と比肩する人物として、「東の渋沢,西の五代」と称されたそうです。


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大阪証券取引所の近くには、大阪俵物会所跡の碑があります。

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説明板には以下のように記されています。

江戸時代には金・銀・銅などの重要な生産物については、幕府の厳しい統制下
におかれ、会所という売買センターで特定の商人しか扱うことができなかった。

俵物と呼ばれるふかのひれや干なまこ、干あわびなどは、当時の日本の重要な
特産物で、長崎から中国などにむけて輸出されていた。

この俵物は輸出入の代価に用いられることもあったので、延亨元年(1744)に
大阪に会所が設けられ、ここで売買が行われた。会所ははじめ備後町にあったが、
安永6年(1777)にこの地に移り、明治まで続いた。



商都大阪の江戸から明治にかけての賑わいが伝わってきます。

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大阪 難波橋

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水の都大阪は多くの橋がありますが、難波橋は橋の四隈の親柱の上に
石造のライオン像が配されていることから『ライオン橋』の愛称で親しまれ
ているそうです。

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難波橋はライオン像以外にも、市章を組み込んだ高欄、華麗な照明灯など、
東京の日本橋同様の豪華な装飾が施されています。 

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難波橋は江戸時代、江戸、大阪などで、江戸幕府の経費で架けられた
公儀橋の一つです。

公儀橋は江戸では日本橋、江戸橋、京橋、両国橋、永代橋、などがあります。
大阪では、天神橋、天満橋、京橋などがあります。

これに対し、町人が経費を負担して架けた橋は町橋と言われているそうです。


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大阪市役所のある中之島を望む

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橋の袂には大阪証券取引所もあり、難波橋は大阪の経済の中心である
ことが、分かります。

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好きやねん大阪の歌碑

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大阪心斎橋の大丸から御堂筋を少し南に歩くと、東西に走る「八幡通」と
いう小さな通りがあります。
この八幡通を左折すると、通りの名前の由来となった神社があります。

この神社は御津宮、御津八幡宮または御津八幡神社と呼ばれています。

11~12世紀に石清水八幡宮の荘園が浪華の地におかれた際に創建された
という説もある由緒ある神社です。

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再び御堂筋を渡八幡通りを逆に進むと飲食店が軒を並べています。

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賑やかな八幡筋の立体駐車場の前のビルの一角に歌碑があります。


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「好きやねん大阪」の歌碑です。(詞・山田孝雄、曲・徳久広司)
「好きやねん大阪」は大阪を拠点に活動する演歌歌手・平岡千佳の1989年
に発売されたヒット曲ですが、関西のラジオ番組で「あなたが選んだ大阪の歌」
の1曲に選出されたことから、歌碑が建立されたそうです。

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大阪新世界へ

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通天閣のある大阪新世界を訪れました。 新世界には、個性豊かなお店が
軒を並べています。

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大きなビリケンさんと提灯で賑やかなヤマハチ商店。


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こちらはふぐの巨大な看板で有名な、づぼらや本店です。


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ユーモラスな恵比寿さんが目を引く串カツ屋さん

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こちらの鶴亀家は大きな鶴と亀が目立つ串カツ屋さんです。

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店頭に巨大串カツが飾られた店もあります。

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「串カツ」と大きく書かれ、提灯が印象的な近江屋本店からは阪神戦の
テレビ中継が聞こえてきます。

主張の強いお店が並ぶ新世界ですが、それだけに味には自信が
あるようです。

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通天閣と王将の碑

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大阪浪速区にある新世界界隈の中心部に建つ通天閣を訪れました。

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1903年(明治36年)に開催された第5回内国勧業博覧会の会場跡地に、
パリのエッフェル塔と凱旋門を模した初代通天閣が1912年(明治45年)
に建設されたそうです。

現在の通天閣は二代目で、1956年(昭和31年)に完成したそうです。

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通天閣の下には、王将の碑があります。この碑は大正時代の将棋名人
坂田三吉を偲んで、通天閣の真下に建てられました。

説明には以下のように記されています。

王将坂田三吉は明治3年6月堺市に生まれる。
幼少より将棋一筋に見きわめめぐまれた天分と努力は世の人をして鬼才
といわしむ。

性温厚にして妻小春とともに相扶け貧困とすべての逆境を克服する。
昭和21年7月(77才)大阪市東住吉区に没す。

同30年10月生前の偉業をたたえられて日本将棋連盟より棋道最高の名人位
王将位を追贈される。

翁によって大阪人の土根性の偉大さをしらしめたる功績は私たちの追慕し
やまざるところここ由縁のち通天閣下にこれを顕彰する。

通天閣は大阪の人々の様々な歴史を見てきたようです。 

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たけのこ掘りへ

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知人の案内で、竹林をお持ちの方の家でたけのこ掘りをすることになりました。

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たけのこ掘りは久し振りなので、たけのこ探しにも時間がかかります。

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だんだん目が慣れてくると、あちこちに生えているたけのこが分かるように
なってきました。

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地下茎が張り巡っているので、掘るのはなかなか苦労します。

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悪戦苦闘し、何本か掘りだしました。

この後も格闘し、大量のたけのこを掘りましたが、日頃街歩きばかりの身には
スコップや鍬を使ってのたけのこ掘りは重労働です。

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明治記念館にある「君が代」の さざれ石

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神宮外苑の明治記念館を訪れました。

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明治14年、当時の赤坂御所の仮御所として今の迎賓館のある場所
に建てられらたのが、明治記念館本館である「明治記念館」。
明治21年には、帝国憲法制定のための御前会議の会場となったそうです。

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荘厳な本館車寄せの佇まいは格式を感じさせます。

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明治記念館と言えば、都心には珍しい広さの、手入れの行き届いた庭が
有名です。

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その庭の一角に天然記念物の「さざれ石」があります。

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説明書きを読むと以下のように記されています。


この石は、学名石灰質角礫岩といいます。

石灰質が長い年月の間に雨水に溶解され、その時に生じた粘着力の強い
乳状液が次第に大小の岩を凝結して巨岩化し、河川の浸蝕作用により露出し
苔むしてできたものです。

千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

と国歌「君が代」にも謳われているように珍しい石 目出度い石であると
いわれています。

奉納者 岐阜県揖斐郡春日村 昭和63年10月26日奉納


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君が代の歌詞にあるさざれ石が明治記念館にあるとは思いませんでした。

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