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軽井沢の「千曲川旅情」歌碑

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中軽井沢から浅間山鬼押出しに向かう坂の途中、右側の塩壺温泉入口付近
に千曲川旅情の歌碑があります。

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樹木に包まれた一角で苔むしている歌碑は軽井沢の歴史を感じさせます。

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歌碑には、島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」の詩と楽譜が刻まれています。

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「曲碑弘田龍太郎」説明板には

弘田龍太郎は、あの島崎藤村の詩「千曲川旅情のうた」の作曲者であります。
「千曲川旅情のうた」の作曲はこの地の別荘において成ったといわれ、
それを記念して昭和34年に建立されました。

この碑には「千曲川旅情のうた」の曲譜と文学博士中山久四郎の弘田龍太郎を
しのぶ文が銅板ではめ込まれています。

と記されています。


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夏のこの時期車が行き交う表通りから少し入っただけの場所に静かに
鎮座する石碑は風情があります。

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なお、曲碑の由来には次のように長文が記されています。

「靴がなる」「叱られて」「春よこい」その他数々の名曲を作曲された弘田龍太郎
先生は大正10年この地に童話作家岸辺福雄氏と隣り合わせに山荘を
建てられた。

当時、北原白秋、草川信その他の詩人や作曲家によって童話運動がほうはい
としておこり、先生は、日本の新しい子供のうたをつくり出され、後世にのこる
日本童話の開花時代をつくられたのであります。

先生はこの山荘を愛され、毎夏をここに過ごしては数々の名曲をつくられました。
大正10年8月第1回芸術教育講習会が内村鑑三先生命名の星野遊学堂で
開かれ、当時日本の文壇画壇に光彩を放っていた北原白秋、島崎藤村、
沖野岩三郎、山本鼎の諸氏と共に弘田龍太郎は29歳の新進講師として
来軽されました。

島崎藤村先生は旅情詩「小諸なる古城のほとり」を作られ、弘田龍太郎先生を
訪ねられて作曲を依頼されたのです。

先生はこの山荘で曲想を練り、大正14年8月「千曲川旅情の歌」と題して曲詩を
発表されるや、果然当時の若人の心を躍動させ不朽の名曲として人々に
親しまれる様になりました。

曲碑「千曲川旅情の歌」は、作曲家弘田龍太郎先生の偉業を偲び、山荘から
流れていた数々のメロディーを永久に記念するためにゆかりの地に建設した
もので、小諸懐古園にある有名な藤村先生の詩碑と、この曲碑は好一対をなすものです。

設計は造園家飯田十基先生が浅間山麓の自然石を使って配置され、パネルは
彫刻家長谷川豊雄先生が弘田先生の筆になる楽譜を彫刻され、頌詞は地元出身
の文学博士中山久四郎先生が記されたもので、昭和34年6月14日当主3代目
星野嘉助が建碑しました。


noteWalkerひで”今日も歌碑めぐり”>>

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