« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

2011年3月

京都 壬生寺の「ああ新撰組」の歌碑

P1070709

新撰組ゆかりの京都の壬生寺を訪れました。
文久3年(1863)に、新撰組はここ壬生の地において結成されました。
門前の通りには、その当時屯所となった八木邸、前川邸が今も残って
います。
壬生寺の界隈へ>>

P1070690


壬生寺境内は新撰組の兵法調練場として、剣術や砲術の訓練が
行こなわれ境内のていたそうです。

P1070707

境内の一角に新選組隊士の墓所の壬生塚があります。

P1070692

赤い太鼓橋を渡った壬生塚には三橋美智也の「あゝ新撰組」の歌碑
があります。


P1070693

P1070695

歌詞と三橋美智也の姿がいざまれた歌碑は平成11年に建立されたそうです。

P1070705

歌碑の脇に100円を入れると、「あゝ新撰組」の曲が高らかに流れます。
気恥ずかしいですが、周囲の見学の人たちと楽しみました。

P1070700

壬生塚には、隊士の墓石が並んでいます。
芹沢鴨の墓所。一緒に殺された平山五郎と一緒に葬られています。

P1070701

隊士7名の合祀墓には、池田屋騒動で亡くなった隊士の奥沢栄助や
安藤早太郎、新田革左衛門らも葬られています。


P1070702_2

河合耆三郎の墓所


今も、壬生寺には新撰組のファンが多く訪れています。


noteWalkerひで”今日も歌碑めぐり”>>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

壬生寺の界隈へ

P1070688

京都の壬生寺を訪れました。新撰組の隊士たちはこの壬生寺の境内で、
剣術や砲術の訓練をおこなっていました。

P1070711


P1070687

壬生寺の界隈は往時を偲ばせる町並みが続いています。

P1070679

前川邸は、文久3年浪士組が会津藩御預となった頃から、前川邸は屯所
として使われ始め、山南 敬介が切腹した場所だそうです。
外観はほぼ当時のままだということです。


P1070680

邸内は公開していないようですが、内部の写真の絵葉書や新撰組グッズを
売る売店で少し雰囲気を感じることができます。

P1070682

訪れた人たちは名残を探すように門や壁を見つめています。

前川邸>>

P1070684

壬生寺の並びには八木邸があります。
14代将軍家茂上洛の警護にきた浪士組が江戸に呼び戻されることになった中で
八木家を宿所としていた芹澤鴨、近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬助、等の
13名が京に残り、文久3年3月16日八木家右門柱に、新選組の表札を掲げ、
新選組が誕生したそうです。

P1070686

芹澤鴨ら4人がここで斬殺され、邸内には今もその時の刀傷が残されて
いるそうです。

八木邸>>

ほんのわずかの一角で新撰組の歴史が繰り広げられていたことを
知りました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

金閣寺へ



P10707871_2

京都の金閣寺を訪れました。金閣寺は正式には鹿苑寺といいます。


P1070790

写真ではよく見る景色そのものです。水面に映る姿もきれいです。

P1070795

金閣寺は、鎌倉時代に藤原一族の藤原公経(西園寺公経)がこの地に
西園寺を建立したことに始まるそうです。
鎌倉幕府滅亡後、荒れ果てた西園寺を足利義満が譲り受け、北山第と
呼ばれる大規模な邸宅を造営し、利義満の死後、舎利殿(金閣)を
残して解体され禅寺の鹿苑寺となったそうです


P1070798

1950年の失火で全焼し、現在の建物は1955年にほぼ焼失前の状態に
再建されたものだそうです。

P1070799

どの角度から見ても上品な金色に光り輝く姿は見事です。


      P1070801


P1070804

P10708131

あらゆる角度からの金閣寺の姿に見とれていましたが、禅寺らしく
庭も趣があります。




検索していたら、金閣前設置のWebカメラがありました。
毎日5分毎に撮影しているそうです。

今日の金閣寺>>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »