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2013年5月

舞鶴引揚公園の「岸壁の母」と「異国の丘」の歌碑

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京都府の日本海側にある舞鶴を訪れました。
舞鶴といえば、戦後多くの方が大陸から引き揚げてきたところです。
現在も引揚記念館があり、その時の苦労を伝えています。


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湾内を見渡せる引揚公園の丘の上に「異国の丘」と「岸壁の母」の歌碑があります。

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岸壁の母とは、第二次世界大戦後、ソ連による抑留から解放され、引揚船で帰ってくる
息子の帰りを待つ母親の姿にマスコミ等が取り上げた呼び名です。
そのひとりである端野いせさんを主人公にして、この歌が作られました。

昭和29年(1954年)発売された菊池章子の「岸壁の母」は大ヒット(100万枚以上)
しました。(作詞:藤田まさと 作曲:平川浪竜)

昭和47年(1972年)には二葉百合子の歌で浪曲調で50万枚の大ヒットとなりましtた。

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異国の丘 増田幸治作詞 吉田正作曲。

1943年(昭和18年)に陸軍上等兵として満州にいた吉田正が、部隊の士気を上げるため作曲した「大興安嶺突破演習の歌」が原曲。

戦後、シベリアに抑留されていた兵士の間で歌われ、抑留兵のひとりだった増田幸治が
作詞した。

シベリアから帰還した兵士の一人中村耕造が『NHKのど自慢』に出て歌ったことから
有名となった。
シングルとしては1961年に三浦洸一のカバーが発売された。


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この丘に立つと戦後のそうした光景や思いが伝わってきます。


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歌碑の隣にある「ああ母なる国」の碑はその思いを象徴しています。

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和歌山城の鞠と殿様の歌碑

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和歌山を訪れました。



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駅から歩いて15分くらいで和歌山城に着きました。。
和歌山城は、天正13年(1585)豊臣秀吉が紀州を統一後,弟の秀長に命じて築城を
したそうです。元和5年(1619)徳川家康の第十子頼宣が入城し城郭の大改修を
行い,以後250年に渡り徳川御三家のひとつ紀州徳川家として栄えたそうです。

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丁寧に積み上げられた石垣からも往時の権勢が伝わってきます。


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和歌山城の天守閣前の広場の一角に「鞠と殿様」の歌碑があります。

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西条八十の作詞による「まりと殿様」の5番の歌詞が刻まれています。
碑の文字は西条八十の直筆によるものです。


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 鞠と殿様>>


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天守閣はその歌碑をやさしく見下ろしています。

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殿様が見下ろしていた城下町はどんな光景だったのでしょうか





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作詞 西条八十  作曲 中山晋平

 

てんてんてんまり てん手まり てんてん手まりの 手がそれて
どこからどこまで とんでった垣根をこえて 屋根こえて
表の通りへとんでった とんでった

 

表の行列 なんじゃいな 紀州の殿様 お国入り
きんもんさき箱 ともぞろい おかごのそばには ひげやっこ 
毛槍をふりふり ヤッコラサの ヤッコラサ

 

てんてんてんまり てん手まり はずんでおかごの やねの上
もしもし紀州の お殿様 あなたのおくにの みかん山 
わたしにみさせて くださいな くださいな 

 おかごはゆきます とうかいどう とうかいどうは 松なみ木 
とまりとまりで 日がくれて 一年たっても もどりゃせぬ 
三年たっても もどりゃせぬ もどりゃせぬ 

てんてん手まりは 殿様に だかれてはるばる たびをして 
きしゅうはよいくに 日の光 山のみかんに なったげな 
赤いみかんに なったげな なったげな

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孫のお宮参り

孫のお宮参り
孫のお宮参り終わり、皆で会食♪鶴亀の飾り細工も登場した!

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