文化・芸術

「鐘の鳴る丘」主題歌「とんがり帽子」の歌碑

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安曇野を車で走っていると、「鐘の鳴る丘集会所」と書かれた看板に

出くわしました。

立ち寄ってみると、屋根に時計台のある和洋折衷のモダンな建物がありました。

昭和22年から放送されたNHK連続ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」のモデルと

なった建物だそうです。

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この建物は元は温泉旅館でしたが、昭和初年に旅館閉鎖後、少年院「鐘の鳴る丘」有明高原寮の施設として利用されたそうです。

その後、この地に移転復元され青少年の研修施設として利用されています。

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敷地内には「鐘の鳴る丘」の主題歌の「とんがり帽子」の歌碑があります。

毎日午前10時、正午、午後3時に「とんがり帽子」のメロディーが流れます。

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【作詞】菊田 一夫 【作曲】古関 裕而

緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台

鐘が鳴ります キンコンカン メーメー子山羊も啼いてます

風がそよそよ丘の家 黄色いお窓は俺らの家よ

緑の丘の麦畑 俺らが一人でいる時に

鐘が鳴ります キンコンカン 鳴る鳴る鐘は父母の

元気でいろよ言う声よ 口笛吹いて俺らは元気

とんがり帽子の時計台 夜になったら星が出る

鐘が鳴ります キンコンカン 俺らはかえる屋根の下

父さん母さんいないけど 丘のあの窓俺らの家よ

おやすみなさい 空の星 おやすみなさい 仲間たち

鐘が鳴ります キンコンカン 昨日にまさる 今日よりも

明日はもっと幸せに みんななかよく おやすみなさい

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「めえめえ児山羊」の歌碑

安曇野の豊科近代美術館の敷地内に童謡「めえめえ児山羊」の歌碑があります。

作詞者の藤森秀夫氏は安曇野市豊科出身だそうです。

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歌碑は長野県南安曇郡豊科町の豊科中学校の校庭の一角に歌碑が建立されましたが豊科中学校は後に移転しその跡地に豊科近代美術館が建設され、歌碑はそのままの位置にあります。 碑面の文字は作詞者・藤森秀夫の未亡人・幸(こう)の筆だそうです。

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現在歌われている歌詞と少し違います。 

歌碑の詩は次ようです。

 

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作詞 藤森秀夫 作曲 本居長世

めえめえ 森の児山羊 児山羊走れば小石にあたる

あたりゃ あんよが あ いたい

そこで児山羊は めえ と なく

めえめえ 森の児山羊 児山羊走れば株つにあたる
あたりゃ あんまが あ いたい
そこで児山羊は めえ と なく

やぶこあたれば  はらこがちくり

とっこあたれば  くびこが折れる

折れりゃ 児山羊は  めえ と なく

朽木あたれば 頚こが折れる

折れりゃ小山羊は めえと鳴く

【長野県安曇野市豊科5609-3 豊科近代美術館前

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早春賦の歌碑


安曇野を訪れたので観光マップを見ていたら、

早春賦の歌碑があることに気付き早速行ってみました。

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安曇野の遅い春を待ちわびる心を歌った「早春賦」

(吉丸一昌作詞、中田章作曲)は1913年(大正2年)

に発表されました。

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歌碑は穂高川堤防沿いに昭和594月に建立されたそうです。

大王わさび農場の近くです。

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 歌碑の横にはソーラー電池式のオルゴールが設置されていて、

いつでも早春賦のメロディが聞けるようになっています。

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初夏の光景ののなかで聞いても春を待つ気持ちが伝わってきます。

 

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歌詞

春は名のみの 風の寒さや  谷の鶯 歌は思えど

 時にあらずと 声も立てず  時にあらずと 声も立てず

 

氷解け去り 葦は角ぐむ  さては時ぞと 思うあやにく

 今日も昨日も 雪の空  今日も昨日も 雪の空

 

春と聞かねば 知らでありしを  聞けば急かるる 胸の思いを

 いかにせよとの この頃か  いかにせよとの この頃か

 

パノラマ画像がありました>>

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高崎達磨寺に




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高崎の達磨寺を訪れました。


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今までの達磨を納め、新しい達磨にしました。


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達磨寺には、さまざまな大きさのだるまが山積みで納められていました。




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富岡製糸場へ





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群馬県の富岡製糸場が世界遺産の勧告を受けたと聞き、早速訪れてみました。
勧告を受けてから大混雑とのニュースがありましたが、連休の狭間の5月1日
はそれほどではありませんでした。

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明治5年に建てられた建物は長年の風雪を感じさせない綺麗な姿のままです。


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繭倉庫は、木の柱にレンガの壁という珍しい建て方で、当時はレンガが日本
にはなく、フランス人技術者に瓦職人が教わりながらレンガを焼いたそうです。

ボランティアガイドの方が丁寧に説明をしてくれるので、よくわかります。


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続いて繭から生糸を取る操糸場です。

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広い建物は柱がなくても支えられるトラス構造という三角形で支える建て方
だそうです。東京タワーも同じ建て方との説明でした。
採光のための窓のガラスは当時フランスから運んだものだそうです。


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ずらっと並んだ自動操糸機が作った絹糸が明治時代の日本の輸出を支え
日本を支えていたと考えると感慨深いです。



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金太郎の故郷の「金太郎」の歌碑

 「金太郎」と言えば、「足柄山の金太郎」童謡金太郎の歌碑は
南足柄市の夕日の滝の近くにあります。



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作詞=石原和三郎   作曲=田村 虎蔵
1 まさかりかついで きんたろう    くまにまたがり  おうまのけいこ
  はいし どうどう はいどうどう   はいし どうどう はいどうどう
   

2 あしがらやまの  やまおくで      けだものめて  すもうのけいこ
  はっけ よいよい のこった       はっけ よいよい のこった 


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夕日の滝は、金太郎が産湯をつかったことで知られた滝です。
金時山が水源の夕日の滝は高さ23m、幅5m
「夕日の滝」の由来は、冬至の日に、滝壺に夕日が赤く映える
からだそうです。



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南足柄市の地蔵堂地区は古くから「四万長者伝説」がありその
長者の娘・八重桐が産んだ子どもが「金太郎」なのです。



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この地蔵堂地区には金太郎生家跡や「金太郎の遊び石」のかぶと石や
たいこ石が散在しています。

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夕焼けこやけの碑

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紅葉が始まった八王子の道は空気もきれいで快適です。

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童謡「夕焼け小焼け」の作詞者中村雨紅が八王子市上恩方町で生まれたことに

由来し、その地に「夕焼け小焼けの里」という施設があります。

そこから山道を5分程度歩いた宮尾神社の境内に童謡「夕焼け小焼け」の碑が

あります。

歌詞の通り、風情のある山のお寺です。

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中村雨紅(本名高井宮吉)

夕焼け 小焼けで 日が暮れて  山のお寺の 鐘がなる
おててつないで みなかえろう からすと いっしょに かえりましょ

子供が かえった あとからは  まるい大きな お月さま
小鳥が夢を 見るころは 空には きらきら 金の星

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「夕焼け小焼けの里」の食事処の前には中村雨紅の墓所があります。


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歌詞が書かれた説明板には赤や黄色の葉が似合います。

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明治30年東京府南多摩郡恩方村上恩方(現在の八王子市上恩方町)生まれ。
東京府立青山師範学校を卒業後、東京都北豊島郡日暮里町の小学校に勤務し、
その頃から童話・童謡の執筆を始め、野口雨情に傾倒したことから
「雨紅」のペンネームを使うようになったそうです。



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横浜発祥碑めぐり

石川町から山手を通り、港の見える丘、中華街、までの発祥の地めぐり。
廻った発祥碑は庭球、西洋庭園、君が代、吹奏楽、キリンビール、
ボーリング、クリーニング。いろんなものがこのエリアで生まれました。

 

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西洋庭園、

横浜市中区の山手公園は1870(明治3)横浜の居留地外国人のレクリエーション

の場として作られた、日本初の洋風公共庭園です。

園内にはそれを記した西洋庭園発祥の碑があります。

 

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慶応三年(1866年)に横浜居住の外国人の間には山手方面に専用の遊園地を

望む声があり、外国公使団との間で結ばれた「横浜居留地改造及競馬場墓地

等約書」(慶応約書)によって、その要求が幕府に認められました。

その後、明治政府が山手妙光寺付近の土地、約6千坪を、慶応約書で約束した

土地の代替地として貸与したそうです。

居留地の外国人自身が公園の造成を行い開園したそうです。

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庭球

横浜・山手公園内のテニスコート入り口に、「日本庭球発祥之地」と

彫られたローラーの記念碑があります。

元デビスカップ(デ杯)選手の安部民雄の書になるこの碑は、
1878年(明治11年)、横浜外国人居留地の人々が、自分たちのために
クラブとコートをつくった史実にちなんだもので、

1878年(明治11年)横浜山手の山手公園内に外国人専用の5面のコート
が作られ、日本で初めて近代テニスが本格的に行われるようになったそうです。

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碑文

1878年レディース・ローンテニスアンドクろッケークラブ、
現在の横浜インターナショナルテニスクラブがこの地に
5面のテニスコート
を建設した。この地は日本のテニスの発祥の地とされている。

昭和
5310月横浜インターナショナルテニスクラブ

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往時のテニスの様子を伝えるテニス発祥記念館も必見です。

横浜山手・テニス発祥記念館>


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君が代

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吹奏楽

 

 

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キリンビール

2008719 ()に訪れたことがありますが、今日は友人を案内しての
再訪です。

横浜妙香寺の「君が代」歌碑と吹奏楽発祥の地>>

 

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御宿 月の砂漠の歌碑

御宿  月の砂漠の歌碑

夏が終わっても、千葉の御宿は賑わっています。


御宿  月の砂漠の歌碑

その砂浜の一角に、ラクダに乗った人の像があります。

御宿  月の砂漠の歌碑

その脇にある月形の碑が「月の砂漠」の歌碑です。
三日月を型どった碑の御影石は、遠くイランから取り寄せたものです。

御宿  月の砂漠の歌碑

「月の沙漠」
作詞:加藤 まさお   作曲:佐々木すぐる
 

1 月の沙漠を はるばると 旅のらくだが 行きました
  金と銀との 鞍置いて 二つならんで 行きました
 
2 金の鞍には 銀の甕  銀の鞍には 金の甕
  二つの甕は それぞれに 紐で結んで ありました
 
3 先の鞍には 王子さま 後の鞍には お姫さま
  乗った二人は おそろいの 白い上着を 着てました
 
4 広い沙漠を ひとすじに 二人はどこへ 行くのでしょう
  朧にけぶる 月の夜を 対の駱駝は とぼとぼと
  
  砂丘を 越えて 行きました  黙って 越えて 行きました




青年詩人加藤まさをがこの御宿海岸抒情詩「月の沙漠」を綴ったのは
大正12年のことである。
そのころ御宿海岸は起伏果てしなく砂丘の連なりであった。

優れた詩人の感性は、この砂丘に淡い月光に照らされた王子と王女
の旅を幻想したのであろう。

この詩は、佐々木すぐるによって作曲され、童謡として広く歌い継がれ、
既に半世紀を過ぎている。

加藤まさをは晩年を御宿で過ごし、昭和52年高い、町内の最明寺に眠るが、
不朽の名作「月の沙漠」は、日本人の心に愛とロマンを伝え、
永久に生き続けることであろう。

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和歌山ブルースの歌碑

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和歌山市の繁華街ぶらくり丁をテーマにした歌謡曲「和歌山ブルース」の歌碑が、
和歌山市雑賀町大門川に架かる雑賀橋のたもとにあります

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歌碑は、レコード盤を模した直径1.8mの御影石製で、真ちゅうで作られたレーベル
部分に歌詞や一部の寄付した人の名前が刻まれ、ベンチとしても使えます。

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半径1m以内に人が近づくと、和歌山ブルースのメロディが流れ、日没後には
中央のポール部分が光ります。

大変凝った歌碑で、この曲が地元の人たちに愛されていることが伝わってきます。

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和歌山ブルース. 吉川静夫 作詞吉田 正 作曲 歌古都清乃

逢いたい見たい すがりたい そんな気持ちに させるのは
ぶらくり丁の 恋灯
真田堀(さなだぼり)なら ネオン川  和歌山泣きたい ああやるせない

誰にもいえぬ おもいでを  夜がやさしく くれたのも
あなたとわたしの 和歌の浦
夢は消えない いつまでも 和歌山泣きたい ああやるせない

流れる涙 紀の川に捨ててしまった 女でも
慕情をこめて ブルースを唄う花散る 城下町
和歌山泣きたい ああやるせない

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