由緒めぐり

金太郎の故郷の「金太郎」の歌碑

 「金太郎」と言えば、「足柄山の金太郎」童謡金太郎の歌碑は
南足柄市の夕日の滝の近くにあります。



Dsc_1767


Dsc_1761


作詞=石原和三郎   作曲=田村 虎蔵
1 まさかりかついで きんたろう    くまにまたがり  おうまのけいこ
  はいし どうどう はいどうどう   はいし どうどう はいどうどう
   

2 あしがらやまの  やまおくで      けだものめて  すもうのけいこ
  はっけ よいよい のこった       はっけ よいよい のこった 


     Dsc_1768

夕日の滝は、金太郎が産湯をつかったことで知られた滝です。
金時山が水源の夕日の滝は高さ23m、幅5m
「夕日の滝」の由来は、冬至の日に、滝壺に夕日が赤く映える
からだそうです。



Dsc_1781

南足柄市の地蔵堂地区は古くから「四万長者伝説」がありその
長者の娘・八重桐が産んだ子どもが「金太郎」なのです。



Dsc_1776

Dsc_1775

Dsc_1773

この地蔵堂地区には金太郎生家跡や「金太郎の遊び石」のかぶと石や
たいこ石が散在しています。

noteWalkerひで”今日も歌碑めぐり”>>




















| | コメント (0) | トラックバック (0)

横浜発祥碑めぐり

石川町から山手を通り、港の見える丘、中華街、までの発祥の地めぐり。
廻った発祥碑は庭球、西洋庭園、君が代、吹奏楽、キリンビール、
ボーリング、クリーニング。いろんなものがこのエリアで生まれました。

 

1383371414218

西洋庭園、

横浜市中区の山手公園は1870(明治3)横浜の居留地外国人のレクリエーション

の場として作られた、日本初の洋風公共庭園です。

園内にはそれを記した西洋庭園発祥の碑があります。

 

1383370973355_5


慶応三年(1866年)に横浜居住の外国人の間には山手方面に専用の遊園地を

望む声があり、外国公使団との間で結ばれた「横浜居留地改造及競馬場墓地

等約書」(慶応約書)によって、その要求が幕府に認められました。

その後、明治政府が山手妙光寺付近の土地、約6千坪を、慶応約書で約束した

土地の代替地として貸与したそうです。

居留地の外国人自身が公園の造成を行い開園したそうです。

1383370476430

庭球

横浜・山手公園内のテニスコート入り口に、「日本庭球発祥之地」と

彫られたローラーの記念碑があります。

元デビスカップ(デ杯)選手の安部民雄の書になるこの碑は、
1878年(明治11年)、横浜外国人居留地の人々が、自分たちのために
クラブとコートをつくった史実にちなんだもので、

1878年(明治11年)横浜山手の山手公園内に外国人専用の5面のコート
が作られ、日本で初めて近代テニスが本格的に行われるようになったそうです。

1383374184632


碑文

1878年レディース・ローンテニスアンドクろッケークラブ、
現在の横浜インターナショナルテニスクラブがこの地に
5面のテニスコート
を建設した。この地は日本のテニスの発祥の地とされている。

昭和
5310月横浜インターナショナルテニスクラブ

1383370520060

1383370892105

往時のテニスの様子を伝えるテニス発祥記念館も必見です。

横浜山手・テニス発祥記念館>


1383371604485
君が代

1383372280336

吹奏楽

 

 

1383374183262

キリンビール

2008719 ()に訪れたことがありますが、今日は友人を案内しての
再訪です。

横浜妙香寺の「君が代」歌碑と吹奏楽発祥の地>>

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

和歌山ブルースの歌碑

Img_0721

Img_0726

和歌山市の繁華街ぶらくり丁をテーマにした歌謡曲「和歌山ブルース」の歌碑が、
和歌山市雑賀町大門川に架かる雑賀橋のたもとにあります

Img_0727_2

歌碑は、レコード盤を模した直径1.8mの御影石製で、真ちゅうで作られたレーベル
部分に歌詞や一部の寄付した人の名前が刻まれ、ベンチとしても使えます。

Img_0729

半径1m以内に人が近づくと、和歌山ブルースのメロディが流れ、日没後には
中央のポール部分が光ります。

大変凝った歌碑で、この曲が地元の人たちに愛されていることが伝わってきます。

Img_0731

和歌山ブルース. 吉川静夫 作詞吉田 正 作曲 歌古都清乃

逢いたい見たい すがりたい そんな気持ちに させるのは
ぶらくり丁の 恋灯
真田堀(さなだぼり)なら ネオン川  和歌山泣きたい ああやるせない

誰にもいえぬ おもいでを  夜がやさしく くれたのも
あなたとわたしの 和歌の浦
夢は消えない いつまでも 和歌山泣きたい ああやるせない

流れる涙 紀の川に捨ててしまった 女でも
慕情をこめて ブルースを唄う花散る 城下町
和歌山泣きたい ああやるせない

noteWalkerひで”今日も歌碑めぐり”>>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

舞鶴引揚公園の「岸壁の母」と「異国の丘」の歌碑

Img_07321

京都府の日本海側にある舞鶴を訪れました。
舞鶴といえば、戦後多くの方が大陸から引き揚げてきたところです。
現在も引揚記念館があり、その時の苦労を伝えています。


Img_07371

湾内を見渡せる引揚公園の丘の上に「異国の丘」と「岸壁の母」の歌碑があります。

Img_07361

岸壁の母とは、第二次世界大戦後、ソ連による抑留から解放され、引揚船で帰ってくる
息子の帰りを待つ母親の姿にマスコミ等が取り上げた呼び名です。
そのひとりである端野いせさんを主人公にして、この歌が作られました。

昭和29年(1954年)発売された菊池章子の「岸壁の母」は大ヒット(100万枚以上)
しました。(作詞:藤田まさと 作曲:平川浪竜)

昭和47年(1972年)には二葉百合子の歌で浪曲調で50万枚の大ヒットとなりましtた。

Img_07351

異国の丘 増田幸治作詞 吉田正作曲。

1943年(昭和18年)に陸軍上等兵として満州にいた吉田正が、部隊の士気を上げるため作曲した「大興安嶺突破演習の歌」が原曲。

戦後、シベリアに抑留されていた兵士の間で歌われ、抑留兵のひとりだった増田幸治が
作詞した。

シベリアから帰還した兵士の一人中村耕造が『NHKのど自慢』に出て歌ったことから
有名となった。
シングルとしては1961年に三浦洸一のカバーが発売された。


Img_07391

この丘に立つと戦後のそうした光景や思いが伝わってきます。


Img_07421

歌碑の隣にある「ああ母なる国」の碑はその思いを象徴しています。

noteWalkerひで”今日も歌碑めぐり”>>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

和歌山城の鞠と殿様の歌碑

Img_0698


和歌山を訪れました。



Img_0700

駅から歩いて15分くらいで和歌山城に着きました。。
和歌山城は、天正13年(1585)豊臣秀吉が紀州を統一後,弟の秀長に命じて築城を
したそうです。元和5年(1619)徳川家康の第十子頼宣が入城し城郭の大改修を
行い,以後250年に渡り徳川御三家のひとつ紀州徳川家として栄えたそうです。

Img_0703

丁寧に積み上げられた石垣からも往時の権勢が伝わってきます。


Img_0717_2

和歌山城の天守閣前の広場の一角に「鞠と殿様」の歌碑があります。

Img_0704

Img_0705

西条八十の作詞による「まりと殿様」の5番の歌詞が刻まれています。
碑の文字は西条八十の直筆によるものです。


Img_0706

 鞠と殿様>>


Img_0708

天守閣はその歌碑をやさしく見下ろしています。

Img_0712

殿様が見下ろしていた城下町はどんな光景だったのでしょうか





Img_0718

作詞 西条八十  作曲 中山晋平

 

てんてんてんまり てん手まり てんてん手まりの 手がそれて
どこからどこまで とんでった垣根をこえて 屋根こえて
表の通りへとんでった とんでった

 

表の行列 なんじゃいな 紀州の殿様 お国入り
きんもんさき箱 ともぞろい おかごのそばには ひげやっこ 
毛槍をふりふり ヤッコラサの ヤッコラサ

 

てんてんてんまり てん手まり はずんでおかごの やねの上
もしもし紀州の お殿様 あなたのおくにの みかん山 
わたしにみさせて くださいな くださいな 

 おかごはゆきます とうかいどう とうかいどうは 松なみ木 
とまりとまりで 日がくれて 一年たっても もどりゃせぬ 
三年たっても もどりゃせぬ もどりゃせぬ 

てんてん手まりは 殿様に だかれてはるばる たびをして 
きしゅうはよいくに 日の光 山のみかんに なったげな 
赤いみかんに なったげな なったげな

noteWalkerひで”今日も歌碑めぐり”>>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

京都嵯峨野は小倉餡発祥の地

Dsc_0754

今日は、京都の嵐山から竹林の道を通り、嵯峨野の散策です。

Dsc_0757_2

嵯峨野は, 民家や寺院がたてこんでいますが, 落柿舎の前だけは 広々とした畑
になっていて, 昔の風景を感じさせる落ちついた空間です。

この畑は 京都市が買い取って 昔ながらの景観を保存しているそうです。,
その畑の一角にこの地が小倉餡発祥の地と書かれた立て札があります。

Dsc_0756_2

小倉餡発祥の由来
日本で始めて小豆と砂糖で餡が炊かれたのは 京都に於いて平安京ができて
間もなくの 820年頃のことであります 

当時 京のこのあたり 小倉の里に亀の甲せんべいを作っている和三郎という
人がいて 809年に空海が中国から持ち帰った小豆の種子を栽培しそれに御所
から下賜された砂糖を加え 煮つめて餡を作りました 

これを毎年御所に献上しました こうした菓子は極めて高価で珍しいもの
でありましたので一般の庶民の口には入りませんでしたがこの和三郎の努力で
京都を中心に小豆が広く栽培され江戸時代には茶道の菓子となり
又一方では祝飯として ハレの料理にも加えられるようになりました

 更に空海は中国の亀の甲煎餅の技術も伝授し京菓子の技術は日本の和菓子
の源流となりました
 和三郎は承和7年2月2日(840年)になくなりましたが その子孫並びに諸国同業
の人びとがその功績をたたえて 小倉中字愛宕「ダイショウ」の里に 一社を建て
朝廷の允許を得て 屋号が亀屋和泉でありましたので 和泉明神としてまつられる
ようになりました

 その後 年月を経て明神の社は兵火に焼かれ子孫も絶えて 只古老の伝承として
小倉の地に和泉明神の社があったと伝えられています。

                     都田左兵衛 (六代) 記

意外なところで小倉餡の歴史を知りました。
後で調べてみると、この畑は小豆畑のようで「小倉大納言 実験農場」という説明板
もあるそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

稲荷駅のランプ小屋と鉄道唱歌の歌碑

P1090626_1

京都駅からJR奈良線で2駅目は稲荷駅です。
伏見稲荷の玄関口にふさわしく朱塗りのかわいらしい駅です。


P1090627_1

駅を降りるとすぐに伏見稲荷の大鳥居が待ち構えています。

P1090624_1

駅舎の脇に鉄道唱歌の歌碑があります。碑文ははっきりとは読み取れませんが、

「鉄道唱歌より  赤き鳥居の神さびて 立つは伏見の稲荷山」

と記されているようです。これは鉄道唱歌45番の歌詞
  「大石良雄が山科の その隠家はあともなし 
                赤き鳥居の神さびて 立つは伏見の稲荷山

から取ったものです。ちなみに46番は京都駅がテーマで
「東寺の塔を左にて とまれば七條ステーション
            京都京都と呼びたつる  駅夫のこゑも勇ましや」です



P1090625_1

歌碑の隣には、かつてこの駅が東海道本線の駅であった名残の、
国鉄最古のランプ小屋(準鉄道記念物)が現存しています。

当時は、保線、客車の室内灯、駅員の持つ信号灯などは、電球ではなく、
油(魚やなたね)を使用していたためその油を貯蔵するために使用されて
いたようです。


P1090623_1

   noteWalkerひで”今日も歌碑めぐり”>>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

変貌した東京スカイツリー周辺

   

   P10905511

東京スカイツリーに登ったあと、周囲を散策です。改めてみる
スカイツリーの巨大さに驚きます。

P1090582

この辺りはスカイツリーができる前の更地の頃にも訪れたことが
あるので、街並みや人の数など、変貌のすごさに驚きます。

P1090580

そんな街並みの一角に見たことのある碑を見つけました。

P1090579

スカイツリー建設前のこの場所にあった「生コンクリート工場発祥の地」の碑です。

当時はこんな寂れた風景でした。

建設前の風景と当時の「生コンクリート工場発祥の地」の碑

P1090583

変貌した押上地区の風景に新たな文化の誕生を感じました。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

新大久保 小泉八雲記念公園

P1090228

新大久保は韓国語の看板が立ち並ぶコリアンタウンです。

P1090257

P1090248

そんな街の一角に、小泉八雲記念公園があります。
約1500平方メートルの小さな公園です。

P1090247

公園のパネルには次のように記されています。

明治時代の文人小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)はギリシャ・レフカダ町に生まれ、
現在の新宿区大久保1-1でこの世を去りました。
新宿区とレフカダ町は、この縁をもとに相互交流を重ね、理解と友情を深めるため、
平成元年10月友好都市になりました。

新宿区は小泉八雲が没したこの地に小泉八雲公園を造り、この設計にあたり 
コンスタンティノス・ヴァシス駐日ギリシャ大使並びにスピロス・マルゲス・レフカダ
町長から詳細な助言を受けギリシャ風の公園として整備しました。

ギリシャの雰囲気を出すため、古代の柱や集会場(アゴラ)をイメージしました。
広場、中世風の建物、近代のイメージとしての白い壁などを設けました。
この公園が、日本を世界に紹介した小泉八雲を偲ぶ場所となり、
今後、新宿区とレフカダ町の交友がより一層深まることを願います。   

平成5年4月

P1090249

なるほどギリシャ風です

P1090250

集会場をイメージした花壇です

P1090251

公園の片隅には、ギリシアから贈られた八雲の胸像があります

P1090254

コリアンタウンを外れた住宅街に突如現れるギリシャ風公園。
新大久保は様々な文化に溢れた街です。






| | コメント (0) | トラックバック (0)

石ノ森章太郎ふるさと記念館

P1080816_2

宮城県登米市にマンガ家石ノ森章太郎氏の記念館があります。
 

P1080828

石ノ森章太郎氏はこの登米市に生まれたことから、ふるさと記念館
が建てられたそうです。




P1080821

P1080822

P10808231

館内はあちこちに作品のさまざまな登場人物が展示されています。

P1080827

庭にも作品をテーマにした様々なオブジェがあります

P1080833

数軒隣りには、石ノ森章太郎氏の生家もあります。

P1080832

しかし、震災の影響で現在は公開されていません。

石ノ森章太郎ふるさと記念館>>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧