明治・大正めぐり

富岡製糸場へ





Dsc_2023

群馬県の富岡製糸場が世界遺産の勧告を受けたと聞き、早速訪れてみました。
勧告を受けてから大混雑とのニュースがありましたが、連休の狭間の5月1日
はそれほどではありませんでした。

Dsc_2026

明治5年に建てられた建物は長年の風雪を感じさせない綺麗な姿のままです。


Dsc_2028

繭倉庫は、木の柱にレンガの壁という珍しい建て方で、当時はレンガが日本
にはなく、フランス人技術者に瓦職人が教わりながらレンガを焼いたそうです。

ボランティアガイドの方が丁寧に説明をしてくれるので、よくわかります。


Dsc_2034
続いて繭から生糸を取る操糸場です。

Dsc_2039

広い建物は柱がなくても支えられるトラス構造という三角形で支える建て方
だそうです。東京タワーも同じ建て方との説明でした。
採光のための窓のガラスは当時フランスから運んだものだそうです。


Dsc_2038

ずらっと並んだ自動操糸機が作った絹糸が明治時代の日本の輸出を支え
日本を支えていたと考えると感慨深いです。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

夕焼けこやけの碑

1384053260516

紅葉が始まった八王子の道は空気もきれいで快適です。

1384054951267

童謡「夕焼け小焼け」の作詞者中村雨紅が八王子市上恩方町で生まれたことに

由来し、その地に「夕焼け小焼けの里」という施設があります。

そこから山道を5分程度歩いた宮尾神社の境内に童謡「夕焼け小焼け」の碑が

あります。

歌詞の通り、風情のある山のお寺です。

1384054894025


1384054740600


中村雨紅(本名高井宮吉)

夕焼け 小焼けで 日が暮れて  山のお寺の 鐘がなる
おててつないで みなかえろう からすと いっしょに かえりましょ

子供が かえった あとからは  まるい大きな お月さま
小鳥が夢を 見るころは 空には きらきら 金の星

夕焼け小焼け>>

1384059074837

「夕焼け小焼けの里」の食事処の前には中村雨紅の墓所があります。


1384058943274

1384058936244

歌詞が書かれた説明板には赤や黄色の葉が似合います。

1384058876586

1384058887534

明治30年東京府南多摩郡恩方村上恩方(現在の八王子市上恩方町)生まれ。
東京府立青山師範学校を卒業後、東京都北豊島郡日暮里町の小学校に勤務し、
その頃から童話・童謡の執筆を始め、野口雨情に傾倒したことから
「雨紅」のペンネームを使うようになったそうです。



noteWalkerひで”今日も歌碑めぐり”>>


| | コメント (0) | トラックバック (0)

横浜発祥碑めぐり

石川町から山手を通り、港の見える丘、中華街、までの発祥の地めぐり。
廻った発祥碑は庭球、西洋庭園、君が代、吹奏楽、キリンビール、
ボーリング、クリーニング。いろんなものがこのエリアで生まれました。

 

1383371414218

西洋庭園、

横浜市中区の山手公園は1870(明治3)横浜の居留地外国人のレクリエーション

の場として作られた、日本初の洋風公共庭園です。

園内にはそれを記した西洋庭園発祥の碑があります。

 

1383370973355_5


慶応三年(1866年)に横浜居住の外国人の間には山手方面に専用の遊園地を

望む声があり、外国公使団との間で結ばれた「横浜居留地改造及競馬場墓地

等約書」(慶応約書)によって、その要求が幕府に認められました。

その後、明治政府が山手妙光寺付近の土地、約6千坪を、慶応約書で約束した

土地の代替地として貸与したそうです。

居留地の外国人自身が公園の造成を行い開園したそうです。

1383370476430

庭球

横浜・山手公園内のテニスコート入り口に、「日本庭球発祥之地」と

彫られたローラーの記念碑があります。

元デビスカップ(デ杯)選手の安部民雄の書になるこの碑は、
1878年(明治11年)、横浜外国人居留地の人々が、自分たちのために
クラブとコートをつくった史実にちなんだもので、

1878年(明治11年)横浜山手の山手公園内に外国人専用の5面のコート
が作られ、日本で初めて近代テニスが本格的に行われるようになったそうです。

1383374184632


碑文

1878年レディース・ローンテニスアンドクろッケークラブ、
現在の横浜インターナショナルテニスクラブがこの地に
5面のテニスコート
を建設した。この地は日本のテニスの発祥の地とされている。

昭和
5310月横浜インターナショナルテニスクラブ

1383370520060

1383370892105

往時のテニスの様子を伝えるテニス発祥記念館も必見です。

横浜山手・テニス発祥記念館>


1383371604485
君が代

1383372280336

吹奏楽

 

 

1383374183262

キリンビール

2008719 ()に訪れたことがありますが、今日は友人を案内しての
再訪です。

横浜妙香寺の「君が代」歌碑と吹奏楽発祥の地>>

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

御宿 月の砂漠の歌碑

御宿  月の砂漠の歌碑

夏が終わっても、千葉の御宿は賑わっています。


御宿  月の砂漠の歌碑

その砂浜の一角に、ラクダに乗った人の像があります。

御宿  月の砂漠の歌碑

その脇にある月形の碑が「月の砂漠」の歌碑です。
三日月を型どった碑の御影石は、遠くイランから取り寄せたものです。

御宿  月の砂漠の歌碑

「月の沙漠」
作詞:加藤 まさお   作曲:佐々木すぐる
 

1 月の沙漠を はるばると 旅のらくだが 行きました
  金と銀との 鞍置いて 二つならんで 行きました
 
2 金の鞍には 銀の甕  銀の鞍には 金の甕
  二つの甕は それぞれに 紐で結んで ありました
 
3 先の鞍には 王子さま 後の鞍には お姫さま
  乗った二人は おそろいの 白い上着を 着てました
 
4 広い沙漠を ひとすじに 二人はどこへ 行くのでしょう
  朧にけぶる 月の夜を 対の駱駝は とぼとぼと
  
  砂丘を 越えて 行きました  黙って 越えて 行きました




青年詩人加藤まさをがこの御宿海岸抒情詩「月の沙漠」を綴ったのは
大正12年のことである。
そのころ御宿海岸は起伏果てしなく砂丘の連なりであった。

優れた詩人の感性は、この砂丘に淡い月光に照らされた王子と王女
の旅を幻想したのであろう。

この詩は、佐々木すぐるによって作曲され、童謡として広く歌い継がれ、
既に半世紀を過ぎている。

加藤まさをは晩年を御宿で過ごし、昭和52年高い、町内の最明寺に眠るが、
不朽の名作「月の沙漠」は、日本人の心に愛とロマンを伝え、
永久に生き続けることであろう。

noteWalkerひで”今日も歌碑めぐり”>>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

稲荷駅のランプ小屋と鉄道唱歌の歌碑

P1090626_1

京都駅からJR奈良線で2駅目は稲荷駅です。
伏見稲荷の玄関口にふさわしく朱塗りのかわいらしい駅です。


P1090627_1

駅を降りるとすぐに伏見稲荷の大鳥居が待ち構えています。

P1090624_1

駅舎の脇に鉄道唱歌の歌碑があります。碑文ははっきりとは読み取れませんが、

「鉄道唱歌より  赤き鳥居の神さびて 立つは伏見の稲荷山」

と記されているようです。これは鉄道唱歌45番の歌詞
  「大石良雄が山科の その隠家はあともなし 
                赤き鳥居の神さびて 立つは伏見の稲荷山

から取ったものです。ちなみに46番は京都駅がテーマで
「東寺の塔を左にて とまれば七條ステーション
            京都京都と呼びたつる  駅夫のこゑも勇ましや」です



P1090625_1

歌碑の隣には、かつてこの駅が東海道本線の駅であった名残の、
国鉄最古のランプ小屋(準鉄道記念物)が現存しています。

当時は、保線、客車の室内灯、駅員の持つ信号灯などは、電球ではなく、
油(魚やなたね)を使用していたためその油を貯蔵するために使用されて
いたようです。


P1090623_1

   noteWalkerひで”今日も歌碑めぐり”>>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

多磨霊園の「我は海の子」の歌碑

P1090622

府中市にある多磨霊園に唱歌「我は海の子」の歌碑があります。

P1090616

明治41年、文部省が新体詩懸賞募集を行い、当時小樽新聞の記者であった
宮原晃一郎氏の作詞した「海の子」が佳作当選したそうです。

やがてこの詩は国定の「国語」教科書に採用され、更に作曲されて
小学唱歌となり、「我は海の子」と改題されたとのことです。

P1090618

作詞者とされる宮原家の墓所の脇に「我は海の子」の歌碑がありました。

P1090621

思わず歌詞を口ずさんでしまう馴染みのある唱歌です。

(場所:多磨霊園 北東地:18区1種21側54番)

noteWalkerひで”今日も歌碑めぐり”>>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

変貌した東京スカイツリー周辺

   

   P10905511

東京スカイツリーに登ったあと、周囲を散策です。改めてみる
スカイツリーの巨大さに驚きます。

P1090582

この辺りはスカイツリーができる前の更地の頃にも訪れたことが
あるので、街並みや人の数など、変貌のすごさに驚きます。

P1090580

そんな街並みの一角に見たことのある碑を見つけました。

P1090579

スカイツリー建設前のこの場所にあった「生コンクリート工場発祥の地」の碑です。

当時はこんな寂れた風景でした。

建設前の風景と当時の「生コンクリート工場発祥の地」の碑

P1090583

変貌した押上地区の風景に新たな文化の誕生を感じました。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

横浜港水上散歩1

P1090444

今日は、横浜開港の地「象の鼻桟橋」を出航し横浜港をクルージングです。

P1090332

大桟橋を前から見ると鯨の口のようです。

P1090339

今まで何度も見たことがある氷川丸をマリンタワーをバックに正面から
見たのは初めてです。

P1090330

停泊する海上保安庁の船越しのみなとみらいです。

P1090336

ベイブリッジを越えてきた白い船の姿が青空のした、きれいです。

P1090343

船はペリー提督率いる黒船が停泊したと言われる「ペリーポイント」へ

P1090385

赤レンガ倉庫も海から見ると港としての役割が実感できます。

P1090436

横浜港のクルージング歴史編はのんびりとした雰囲気でだれでも
楽しめます。

浜港クルーズ>>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新大久保 小泉八雲記念公園

P1090228

新大久保は韓国語の看板が立ち並ぶコリアンタウンです。

P1090257

P1090248

そんな街の一角に、小泉八雲記念公園があります。
約1500平方メートルの小さな公園です。

P1090247

公園のパネルには次のように記されています。

明治時代の文人小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)はギリシャ・レフカダ町に生まれ、
現在の新宿区大久保1-1でこの世を去りました。
新宿区とレフカダ町は、この縁をもとに相互交流を重ね、理解と友情を深めるため、
平成元年10月友好都市になりました。

新宿区は小泉八雲が没したこの地に小泉八雲公園を造り、この設計にあたり 
コンスタンティノス・ヴァシス駐日ギリシャ大使並びにスピロス・マルゲス・レフカダ
町長から詳細な助言を受けギリシャ風の公園として整備しました。

ギリシャの雰囲気を出すため、古代の柱や集会場(アゴラ)をイメージしました。
広場、中世風の建物、近代のイメージとしての白い壁などを設けました。
この公園が、日本を世界に紹介した小泉八雲を偲ぶ場所となり、
今後、新宿区とレフカダ町の交友がより一層深まることを願います。   

平成5年4月

P1090249

なるほどギリシャ風です

P1090250

集会場をイメージした花壇です

P1090251

公園の片隅には、ギリシアから贈られた八雲の胸像があります

P1090254

コリアンタウンを外れた住宅街に突如現れるギリシャ風公園。
新大久保は様々な文化に溢れた街です。






| | コメント (0) | トラックバック (0)

渋谷のたばこと塩の博物館

Dsc_0083_2

今日から渋谷の公園通りにある「たばこと塩の博物館」で特別展
「エンゼルからの贈り物 森永のお菓子箱」が始まった。
Dsc_0098_4

オープニングということで、森永製菓の人気キャラクターキョロちゃんと

ぬ~ぼ~も登場し、道行く人たちに愛嬌を振りまいていた。

Dsc_0085_3

4階の会場では懐かしい商品やCMが見ることができるので
きっと人気がでるだろう

たばこと塩の博物館>>




 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧